【頭文字Sから始まるピアノブランド】

ピアノ銘柄ブランド
トレードマーク 紹介
& 知名度ランキング


  

メーカー/ブランド説明・会社沿革・歴史・製作者・特徴・音色・他 

S. RODESTEIN
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RODESTEIN (S.RODESTEIN) ローデスタイン (S・ローデスタイン)
松本ピアノ 詳細不明
S. CHEW


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S.CHEW S・シュー

周ピアノ工場(周興華洋琴製作所)横浜天神橋近く

大正時代中期、上海出身の中国人、周筱正(しょうせい)氏は横浜に工場を建て、
ピアノを製造していた。だが筱正氏は関東大震災で命を落とし、工場も閉鎖。
長男の譲傑(じょうけつ)氏が昭和初期に復興したが、譲傑氏も終戦直後の1946年に死去。
親子二代の「周ピアノ」は約30年でその歴史を閉じ、日本には3台しか現存していない。
19世紀末、横浜の天神橋近くにあった。上海から来た周譲傑氏の製作による。
昭和のはじめモートリーピアノ工場の技師であった周譲傑氏は中国人の工員数人とともに来日、
横浜に工場を持った。当時のレベルでは高級品であり価額も高かった。
外国ピアノ商会(東京ピアノ商会)の沢山清次郎氏とも交流があり、委託生産も行っていた。
人格者で日本人の技術者も多く育てたが、不幸にも戦争中にスパイ扱いされて獄中死した。
※周ピアノについてはこちらに詳しい記事があります →★

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S. G. LEA


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S.G.LEA S・リー

李ピアノ(横浜天神橋)
19世紀末、周ピアノとともに横浜天神橋近くに工場があった。
李佐衡氏が経営指導に当たった。 

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S. GRIEBEL
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S.GRIEBEL S・グリーベル 興和楽器製作所(浜松)
S・クリーベル というのも同じ会社で出している?詳細不明
S. KRIEBEL


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S.KRIEBEL S・クリーベル 興和楽器製作所(浜松)
ホフマンと同じく工場は天龍川西岸の工場で作られていた。
現在の東京ピアノで同名のピアノが売られている。
S・グリーベル というのも同じ会社で出している?
S. LOADE
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S.LOADE S・ローデ
東京の調律師、足立三郎氏の理論を生かして浜松のピアノメーカーに依頼して作られたピアノ。
S. MATSUMOTO


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S.MATSUMOTO S・マツモト (S・松本)

松本ピアノ(松本新吉:松本ピアノ創始者) 千葉県君津市

松本ピアノが故あって2つに別れたとき、長男広氏のH・マツモトに対して、
父親の新吉氏のSを頭文字として、千葉県君津で製作されていた。
伝統の製法はマツモト&サンズとなって引き継がれた。

※ 松本ピアノの詳しい歴史については、MATSUMOTO & SONSの欄をご参照下さい

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S. MIKI
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S.MIKI S・ミキ 河合楽器(製造)、三木楽器店(発売元)
河合楽器が製作にあたった三木楽器店ブランドの一つで三木佐助氏の名前をとった特製品。

→ミキの項目も参照
S. SCHIMMEL
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S.SCHIMMEL S・シンメル 日本ピアノ  ※ドイツのシンメルとは関係がない。

S.SCHMIDT

S.SCHMIDT

S.SCHMIDT ピアノ

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シュミット S.SCHMIDT

製造:日本ピアノ製造株式会社(磐田市)

鉄骨部分のロゴにはN.P.Cとありますね。
トレードマークには珍しく、逆三角形の形をしています。
1台しか調律したことはありませんが、まさに昭和を感じるピアノですね♪

シュミットの蓋(まくり部分)にあるブランド名称メインマーク →★

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SABEL
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SABEL サボー スイス 詳細不明
SAMES
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読み方:セイムズ? 詳細不明
SAMICK




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サミック 韓国(仁川/インチョン) Samick Piano Company/サミック・ピアノ・カンパニー

韓国にある4社のピアノメーカーのひとつであるサミック社は短い歴史しか持たないが(1958年設立)、
朝鮮戦争休戦直後の世の中の見通しの立たない時代に創業し、短い期間に急成長しました。
サミックはこのような短い歴史にもかかわらず、世界で最も多くのグランドピアノ製作台数を誇る
世界最大クラスのピアノ製作会社になりました。
サミック社のワールド・シリーズ・ピアノは、コリアン・スタンダード・オブ・エクセレンスの認証を受ける。
サミック社のグランドピアノのスケールデザインは、1983年に技術支援を依頼された著名なドイツの設計家、
クラウス・フェナーによって設計された。

<歴史>
1958年に会長のイ・ヒョイクによって設立されたサミック社は、Horugel(ホルーゲル)のブランド名で
アップライトピアノの生産を本格的に開始しました。
このブランド名は1970年代まで使用され、以降はサミックのブランド名が確立。
国内の市場を先導するサミック社は、1964年に韓国で初めてピアノを国外へ輸出した会社で、
はじめて海外輸出したピアノは、10台のアップライトピアノを香港へ送り出しました。
アップライ卜ピアノの生産高は着実に増大し続け、また1970年に韓国産業通商資源部のピアノ開発賞を
受賞したことが弾みになり、サミック社は韓国で最初のグランドピアノの製作会社となりました。

それに続く時代は世界市場における地位を確保することに費やされ、資産は輸出拡大のために
集中して使われました。サミック社は1980年に西ドイツ支店をオープンし、その後、アメリカン・
ボールドウィン・ピアノ・アンド・オルガン・力ンパニーと共同事業を開始しました。
サミック社は設立当初から生産施設を拡大する為に精力的に努力し続け、何度か工場を再編したのち、
1990年代までには、アップライトピアノ、グランドピアノ、デジタルピアノの工場を分離させて、
それぞれに最新の機械設備を導入しました。1996年にサミック社はインドネシアに木材加工場を
持つ工場を建設し、そこでは現在もアップライトとグランドの両方が生産されています。
サミック社のグランドピアノのサイズは、全長140cmから275cmまで、9種類もの幅広い選択肢がある。

サミックのまくり(蓋)部分の銘柄マーク →★   サミックに貼られたプレート →★

<サミック社が取り扱うブランド>
Samick、Hyundai、Kohler & Campbell、D.H.Baldwin、Bernhard Steiner、Otto、
(以下は取り扱い終了ブランド)Horugel、Stegler、Schumann

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SAMPAGUITA
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SAMPAGUITA サンパギタ フィリピン 詳細不明

SAUTER

SAUTER ピアノ

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ザウター Sauter 創業1819年

1813年、家具職人であるヨハン・グリムは、優秀な成績で見習い職人を終了した。
地元の教会において鍵盤楽器に感銘を受けた彼は、次なる修行への冒険を決心。
彼はピアノ製作者の道を志したのである。
そして彼は、当時音楽の都であった、ウィーンに引越し、1819年ピアノ工房の設立。
6年間に及んだヨハン・アンドレアス・シュトライヒャーの下での修行の後、シュパイヒンゲンに戻り、
1819年にスクエアーピアノの製作を開始した。この1819年がトレードマークに記されていますね。
当時この若いピアノ製造技術者の作った楽器は、その品質の為一躍有名になり、
技術を求めて短期間で多くの弟子が集まった。

工房から工場へ
グリム夫妻には子供が授からなかった為、当時16歳の甥カール・ザウターを見習い職人として採用。
カールは音楽的にも職人としても天分に恵まれ、叩き上げのピアノ製造技術者にのし上った。
後継者となり、そしてグリムの死により工房を引継ぎ、1846年にピアノ工場へ拡張させ、
とりわけピアノ製造技術の改良を次々と実現していった。

1863年、早すぎたカール・ザウターの死後、母親と共に17歳のヨハン・ザウターが工場を引き継いだ。
彼は数多くの旅行、とりわけアメリカ旅行より、多くのピアノ製造技術に関する新たなヒントを持ち返った。
最も重要な成果として上げられることは、それ以後のスクエアーピアノの製造ウエイトが、
近代的な形に、すなわちアップライトピアノフォルテに移行したことである。

カールザウター2世苦難の時代での工場拡張。
カールザウターは生産合理化と工場拡張に力を注いだ。
優秀な品質と改良されたピアノモデルは、ザウターの名前をドイツ中に響きわたらせた。

ハンス・ザウター、ザウター社史の新世紀の始まり。
音楽家・ピアノ製造技術者・設計者そして発明家であったハンス・ザウターは、
新しい時代に、彼は新しい経済知識と、時流にあった新しい技術と材料を取り入れた。
その音と美しいデザインのモデルはメッセに展示し評判になり、
間もなく世界中に輸出されて行ったことにより、大繁盛となった。

1968年~ カール・ザウター3世、ダブルレペティションアクションの開発
ハンス・ザウターの死後、弟のピアノ製造マイスターであるカール・ザウターが会社の経営を引き継いだ。
ザウターを最高級ブランドの一つに数えられる数多くの革新をもたらした。
最も重要な部分は、R2アクションのシリーズ化、基本モデルをもとにサウンドボードを大型化し、
豊かな音量の達成を図り、そして高価なMシリーズの導入である。
それに付け加え、160cm 185cm 220cm グランドピアノの改良と新たな導入により、
多くのピアニストに認められついには、同じウィーンに発祥するベーゼンドルファーはもとより
スタインウェイ以上の評価を得るに至った。
1974年そして1984年にシュパイヒンゲンの近代的な工場と管理部門社屋の設計図がひかれ、
これにより、ザウターの生産性と品質レベルの向上の為の本質的な必要条件が充たされた。
1982年から経営陣にハンス・ザウターの息子でマーケティングを学んだウーリッヒ・ザウターが加わり
日本・シンガポール・ホンコン・アメリカ・カナダ等の新たな輸出市場の確立に成功した。

1994年 ザウター社創立175周年。
世界中のピアノ市場の激変は、ザウターに於いても抜本的な構造変化を強いられた。
高級品市場への強化と言う、生産コンセプトの実現が企業方針の中心となった。
ザウターは音色・タッチ・デザインにおいて、そしてピアニストの高い要求に十分応えるべき
最高級ピアノを作ることに全力を傾け続けている。
今ではザウターの歴史は、世界で最も古い伝統をもつ、ピアノ製造会社の1つとなったのである。
世界の3大ピアノと言われる、スタインウエイ・ベヒシュタイン・ベーゼンドルファーよりも更に古い。

ザウター社はアップライトのための”R2ダブルエスケープメント・アクション”を開発しました。
これはアップライトとグランドピアノのタッチの差をなくすためのもので、このアクションには、
レペティションを補助する追加のジャックスプリングが取り付けられています。

■機種/モデル バリエーション
アップライト
モデル110(アトゥディオ・クラシック・アルトドイチュ・バロック)
モデル112(カールス)
モデル120R(クラシック・アルトドイチュ・アルトイングリッシュ・エムパイア・
バロックチッペンデール・ルイスサイズ)・モデル130R(クラシック)
モデル122(ドミノ)

グランドピアノ
モデル160(クラシック・チッペンデール・ノブレッセ)
モデル185(クラシック・チッペンデール・ノブレッセ)、(デルタ)

※ザウターピアノはBVK認証を受けています(詳しくはこちら →★

<附録>
ザウターピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1840年~2000年) →★

<以下、ウィキペディアより引用抜粋>
カール・ザウター・ピアノフォルテマヌファクトゥーア(独: Carl Sauter Pianofortemanufaktur、
カール・ザウターピアノフォルテ工房)GmbH & Co. KGは、シュパイヒンゲンにある1819年創業の
アップライトピアノおよびグランドピアノ製造業者である。
自身を「ドイツ最古の現存するピアノ工房」と形容している。
ヴュルテンベルクシュパイヒンゲンで生まれ育ったヨハン・グリムはピアノ製造を学ぶため
同じシュヴァーベン人のアンドレアス・シュトライヒャーと共に1813年にウィーンへ移った。
ウィーンに6年間滞在した後、グリムは故郷へ戻り、スクエア・ピアノの製造を始めた。
グリムの甥カール・ザウターが1846年に作業場を引き継ぎ、マニュファクチュア(工場制手工業)への
移行を始めた。それ以後、会社はザウターの名を冠するようになった。
今日、ザウターは国際的に名高いピアノ製造業者である。
1952年以後はグランドピアノ、2000年以後はコンサートグランドピアノも製造している。
1993年、当時の多くのピアノメーカーと同様に、会社は倒産寸前であった。
生産技術者のOtto Hottが経営を引き継ぎ、会社を再建した。
それまでの中価格帯に注力する代わりに、ザウターは富裕層向けの高品質な高価格帯商品の生産に専念した。
これは特に海外で成功を収めた。ザウターのピアノはオスロ歌劇場やパリ国立高等音楽院で使用されている。
アメリカのジャズピアニストBob RavenscroftはザウターのピアノデザイナーMichael Spreemanによって
設計された楽器を所有している。
ザウターは1980年代には年間約2000台のピアノを生産していたのに対して、
今日でも年間約500台を生産しており、約5百万ユーロの年間売上高を挙げている。
会社は約50名を雇用している(2015年現在)

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SCHAFER & SONS
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SCHAFER & SONS シェファー・アンド・サンズ 韓国 詳細不明
SCHAER & SONS
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シェーファー・アンド・サンズ Schaer&Sons 

元々はアメリカ製のブランドで現在は中国製造。
最終調整をアサヒピアノで行い販売していたという情報。
朝日ピアノ(アサヒピアノ)とはウエンドルラング(中国製)などを販売している浜松にある会社。
上記のSCHFER & SONSとは違うのか?不明
SCHEMA
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SCHEMA PIANO CO.  スキーマ 詳細不明

SCHIEDMAYER SOHNE

SCHIEDMAYER SOHNE

SCHIEDMAYER ピアノ

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SCHIEDMAYER & SÖHNE
シードマイヤー・ウント・ゼーネ/(シードマイヤー・アンド・ゼーネ)/(シードマイヤー・ゾーネ)
ドイツ(旧西ドイツ) STUTTGART/シュツットガルト
※現在は日本のカワイが取り扱っています

有名なクラヴィコード製作者のバルタザール・シードマイヤーは、1735年にドイツのエアランゲンで
最初のクラヴィコードを製作したと言われている。
バルタザールのその後の仕事についてはあまり知られていないが、かなりの業績を上げたものと思われる。
1781年にバルタザールが亡くなると、息子のヨハンが父の仕事を継いでブランデンブルク選帝候御用達の
楽器職人になったことからしても、バルタザール・シードマイヤーの店は繁盛していたとうかがえる。
ヨハンはニュルンベルクへ戻り、そこでかなりの成功を収める。
そしてその息子のヨハンがシュトゥットガルトへ移り、ドイツのもっとも有名な会社のひとつの礎を築いた。
進歩的なシードマイヤー社は1842年に早くもアップライトピアノを製作した。
そしてヨハンの上の息子のアドルフとヘルマンを経営に加えてシードマイヤー・ウント・ゼーネと社名を改め、
1851年のロンドン万博では金メダルを獲得した。一方、ヨハンの下の息子のユリウスとパウルは、
J.& P. シードマイヤーのブランドの名前で優れた品質のハルモニウムを製作していたが、ハルモニウムの
先細りに伴い、1860年にピアノ製作への転向を余儀なくされる。ユリウスとパウルは、シードマイヤー・
ピアノフォルテファブリーク(Schiedmayer Pianofortefabrik)のブランド名でピアノを作り始めた。
19世紀の終わりまで、ふたつのシードマイヤー社は先祖の伝統を受け継いで成功を積み重ね、それぞれが
作る質の高い楽器で高い評価を得ていった。
その後、1969年にふたつの会社は合併し、小型のアップライトとグランドピアノを生産するようになった。

※尚、韓国製にもシーマイヤーという同じ名称のピアノがありますがまったく関係ありません。
→韓国製のシードマイヤーの方はわざとスペルを少し変えています
韓国製シードマイヤーのスペルは、「SHCHIED MAYERR」 ※Hを多く入れ、Rを2個にしている所に注目

<附録>
シードマイヤーピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1880年~1980年) →★

<以下、ウィキペディアより引用抜粋>
シードマイヤー(Schiedmayer、シートマイヤー)はドイツの楽器製造一家の名前である。
1735年に鍵盤楽器製造業者として設立され、今日も同族経営事業として続いている。
■始まり
シードマイヤー家の最初の楽器製作者はエアランゲンのオルガンおよびピアノ製作者
バルタザール・シードマイヤー(1711-1781年)であり、1735年に最初の楽器を製造した。
彼の三人の息子も楽器製作の術を学んだ。
ヨハン・ゲオルク・クリストフ・シードマイヤー(1740-1820年)は
ノイシュタット・アン・デア・アイシュに定住した。彼が製造した数多くの楽器が現存している。
息子のヨハン・エアハルト・シードマイヤーも同様に楽器製作者であった。
アダム・アハティウス・シードマイヤー(1753-1805年)はエアランゲンのピアノ製作者であった。
彼のグランドピアノが1台現存している。
ヨハン・ダーヴィト・シードマイヤー(1753-1805年)はエアランゲンと1797年の後は
ニュルンベルクで活動した。彼は当時最も有名なピアノ製作者の一人であった。
彼の工房からは、クラヴィコード1台、フォルテピアノ5台、スクエア・ピアノ1台が現存している。
■シードマイヤー&サンズ
1809年、ヨハン・ダーヴィットの息子ヨハン・ロレンツ・シードマイヤーは、
カール・デュドネ(Carl Dieudonné)と共に、シュトゥットガルトで「Dieudonné & Schiedmayer」の
会社を設立した。会社はすぐにこの地域でよく知られるようになった。
作曲家のフリードリヒ・ジルヒャーがシュトゥットガルトに移ってきた時、ジルヒャーは2年間
シードマイヤーの自宅で生活した。
ジュドネの死後、工房は「シードマイヤーのピアノ工房(Pianofortefabrik von Schiedmayer)」に改名し、
ヨハン・ロレンツ・シードマイヤーの年上の2人の息子アドルフとヘルマン・シードマイヤーが会社に加わった
1845年の後、社名は
「シードマイヤー&ゾーネ、ピアノ工房(Schiedmayer & Söhne, Pianofortefabrik)」となった。
1821年から1969年まで、工場はネッカー通り(現在のコンラート・アデナウアー通り)14-16にあった。
この区画には今日、シュトゥットガルト音楽演劇大学とバーデン=ヴュルテンベルク州歴史博物館がある。
1909年、会社の100周年を祝うための大規模な展示会がシュトゥットガルトの王立工商業センター
(現在のシュトゥットガルト商工会議所)で開催された。
来訪者の中にはヴュルテンベルク王ヴィルヘルム2世と妻のシャルロッテがいた。
■J & Pシードマイヤー
ヨハン・ロレンツ・シードマイヤーは若い2人の息子ユリウスとパウルをパリへ送った。
パリで彼らはハーモニウム製造を学び、またその数年後にチェレスタ(の原型)を発明する
ヴィクトル・ミュステルに出会った。シュトゥットガルトに戻った後、彼らは1853年に
「J & Pシードマイヤー」社を設立し、すぐにピアノと後にはチェレスタの製造を開始した。
彼らはSchiedmayer-Scheola(オルガンとハーモニウムとチェレスタが混った楽器)や
いくつかの機械式自動演奏楽器のような珍しい楽器も製造した。
この会社は「シードマイヤー&ゾーネ」社の近くに位置していた。
会社は後に名前を「シードマイヤー・ピアノ工房(Schiedmayer, Pianofortefabrik)」に改名した。
1969年、「シードマイヤー&ゾーネ」社の所有者ゲオルク・シードマイヤーがを
「シードマイヤー・ピアノ工房」(元の「J & Pシードマイヤー」)を当時の所有者のマックスおよび
ハンス・シードマイヤーから買収した。
ピアノ生産は1980年に停止し、会社はチェレスタとグロッケンシュピールの製造のみに特化した。
1992年、ゲオルク・シードマイヤーの死に際して、妻のエリアンヌ・シードマイヤーが
「シードマイヤー&ゾーネGmbH & Co. KG」と「シードマイヤー・ピアノ工房」の2つの会社を相続した。
2008年、シードマイヤー・ピアノフォルテ工房は商業登記簿上で公式に清算された。
■シードマイヤー・チェレスタGmbH
1995年、エリアンヌ・シードマイヤーは「シードマイヤー・チェレスタ
GmbH(Schiedmayer Celestabau GmbH)」を設立した。
(2000年以降はシュトゥットガルト近くのヴェンドリンゲン・アム・ネッカーに本社を置く)
世界的にシードマイヤーのチェレスタと鍵盤付きグロッケンシュピールは
オペラやコンサートホールで使われている。
■ミュラー=シードマイヤー
「ミュラー=シードマイヤー」の工場はヨハン・ロレンツ・シードマイヤーの娘の息子によって
1874年にヴュルツブルクで設立された。
創業者は親族の「J & Pシードマイヤー」および「シードマイヤー&ゾーネ」や、
ニューヨークのスタインウェイ・アンド・サンズで商売を学んだ。事業は1968年に清算された。
最後の所有者はエルヴィン・ミュラー=シードマイヤーであった。


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SCHILLER
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SCHILLER シラー  ケーブルピアノ社 ケーブル・ネルソン アメリカ(オレゴン州) 詳細不明
SCHILLER. J
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SCHILLER.J シラー?シーラー?(読み方不明) ドイツ 詳細不明

SCHIMMEL

SCHIMMEL ピアノ

SCHIMMEL PIANO

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シンメル 旧東ドイツ(ライプツィヒ) 創業1885年

ウィルヘルム・シンメル/ヴィルヘルム・シンメル (Wilhelm Schimmel)によって1885年に創業。
アップライトの小型化を成し遂げたメーカーで知られています。
日本のヤマハがかつて代理店になったこともあります。
現在の主要株主は中国のパールリバー・ピアノグループである。


<歴史>
西ヨーロッパで最大規模のピアノ製作会社になったシンメル社は、1885年5月2日にライプツィヒの
ヴィルヘルム・シンメルによる小さな工房からスタートしました。
シンメルは家具職人の見習いだったが空いた時間にヴァイオリンを作っていた。
その後、ライプツィヒの有名なピアノ製作会社シュティッヒェル社でピアノ製作の技術を学ぶ。
独立後、シンメルは身につけた技術を大いに発揮していったという。
シンメル社は1891年からライプツィヒ・ロイトニッツ工場で生産していたが、会社が大きくなっていき、
1897年にはそこも手狭になったため、さらに広いライプツィヒ・シュテッテリッツの工場へ移転した。
シンメルピアノはザクセン=ヴァイマル大公の宮廷御用達楽器にも選ばれ、1909年にはルーマニア国王にも
ピアノを納めるようになった。
1914年には1万台を超えるピアノを製作したが、第一次世界大戦と、1920年代にドイツを襲った経済危機で
拒まれることとなった。その後、1927年に会社の経営はヴィルヘルム・アルノー・シンメルに引き継がれた。
ヴィルヘルムは生産拠点をブラウンシュヴァイクへ移したが、市場の崩壊に伴ってドイツのピアノメーカーである
株式会社ドイッチュ・ピアノ・ヴェルケと提携するも、この提携はうまくいかず1931年にシンメル社は
ドイッチュ・ピアノ・ヴェルケ社と決別し、社名を有限会社ヴィルヘルム・ピアノフォルテファブリークへ変更。
シンメル社の工場は第二次世界大戦中も生産を続行することが出来た。
それは超小型のアップライトピアノを作るなど、アルノー・シンメルが多くのアイディアを意欲的に
実現していったからである。
1944年に工場は火事で焼けてしまい、その再建には4年を費やしたが、1948年にシンメル社は再び
見本市に製品を出品するようになる。ドイツのピアノ業界が困難な時代にあったにもかかわらず、
シンメル社は1950年代に、プレキシグラス・グランドピアノのような衝撃的なデザインのピアノを製作し、
成功した。(※プレキシグラス/Plexiglas とはアクリル樹脂のことで、ドイツでの商標名)
1961年にニコラウス・ヴィルヘルム・シンメルが会社を引き継ぎ、ドイツのこの上質な伝統は第三世代へ。
1966年に新工場が建設され、さらにコンサートホールと展示場を併設した大きな工場の建設が決定した。
そしてこの一大プロジェクトは1980年についに完結し、同年、シンメル社は新工場で1万台のピアノを生産し、
その中の1000台はエラール(Erard)、ガヴォー(Gaveau)、プレイエル(Pleyel)等のブランド名だった。
(※シンメル社は、1970年~1993年までこれらのブランドのピアノも生産していたためです)

1961年、フランスのガボー・エラール・プレイエルを買収、
約20数年間にわたりプレイエルのピアノも生産しました。
アメリカ向け生産が激減したことにより、2009年に破産手続申請。
現在は再建がすすめられているとのこと。

※シンメルピアノははBVK認証を受けています(詳しくはこちら →★

<附録>
シンメルピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1894年~2000年) →★
シンメル公式サイト:http://www.schimmel-pianos.de/welcome.html

<以下、ウィキペディアより引用抜粋>
ヴィルヘルム・シンメル・ピアノフォルテファブリック(Wilhelm Schimmel Pianofortefabrik)GmbH、
通称シンメルはドイツのピアノ製造会社である。
生産数が多く、ドイツ最大のピアノメーカー。クリスタル・ピアノの開発などでも知られる。
数世代にわたってシンメル家による同族経営を続けている。
現在の主要株主は中国のパールリバー・ピアノグループである。
1885年、ヴィルヘルム・シンメル (Wilhelm Schimmel) によってライプツィヒで創業され、
1939年にブラウンシュヴァイクに移転した。アップライトピアノの小型化を成し遂げたメーカーであり、
大量生産の利を生かし普及価格帯からのラインナップを持つ。
クリスタル・ピアノやルイジ・コラーニのデザインした "Pegasus" ピアノ等も製造する。
かつてヤマハが日本代理店であった。
1961年にフランスのガヴォー・エラール・プレイエルを買収、25年間、プレイエルのピアノを生産した。
2009年8月に経済危機を受けて破産手続きを申請した。特に米国向けの受注が激減したことが要因となっている。
2010年4月、会社が財政的に再建された後、再び支払能力があり健全となり、ドイツ当局による保護状態が解かれた。
2010年5月、ブラウンシュヴァイクのブラウンシュヴァイク大聖堂で125周年の特別式典が開催され、
いくつかの新モデルが発表された。
2016年1月、中国のパールリバー・ピアノグループがシンメルの株式の90%以上を取得した。


シンメルのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★
SCHLOGL



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シュレーゲル SCHLOGL(SCHLÖGL)

チェコスロバキア製 (イフラヴァ:都市名)1871~

詳しくは、リガー・クロスの項目を参照

S.SCHMIDT

S.SCHMIDT PIANO

SCHMIDT

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シュミット S.SCHMIDT

製造:日本ピアノ製造株式会社(磐田市)

鉄骨部分のロゴにはN.P.Cとありますね。
トレードマークには珍しく、逆三角形の形をしています。
1台しか調律したことはありませんが、まさに昭和を感じるピアノですね♪

シュミットの蓋(まくり部分)にあるブランド名称メインマーク →★

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SCHMIDT CART
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SCHMIDT CART シュミット・カルト ドイツ 詳細不明
SCHMIDT FLOHR
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SCHMIDT FLOHR シュミッド・フェアー スイス 詳細不明
SCHMITT
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SCHMITT シュミット フランス 詳細不明
SCHNABEL
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SCHNABEL シュナーベル レスターピアノ製造(株) 浜松 詳細不明

SCHUNARBEL
SCHOENBERG


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SCHÖENBERG (SCHOENBERG)
シェーンベルグ(シェンベルグ)

富士楽器製造(浜松)
当初、富士楽器のブランドはこのシェーンベルグであった。
ベルトーンになってから良くなったと言われている。
初代社長野田秀治氏によって戦後もしばらく作られていたが、必ずしも秀作とは言えなかったが、
ベルトーンになって面目を一新した。 

ご寄稿頂いた左記画像のシェーンベルグの推定購入時期は昭和18~25年ぐらいとのことです。
ピアノ本体は漆塗り、鍵盤は象牙で、鍵盤数は一般的なピアノの88鍵より少し少ない85鍵だそうです。

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SCHOLZE
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SCHOLZE ショルツェ
チェコスロバキア製 (現在:チェコ共和国) ペトロフ社のブランド
SCHREIBER
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SCHREIBER シュライバー フィリピン 詳細不明
SCHROTHER
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SCHROTHER シュロッサー ドイツ 詳細不明
SCHULZE POLLMANN


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SCHULZE POLLMANN
シュルツ・ポールマン(シュルツェ&ポールマン)

現在東洋ピアノで販売?ピアノの発祥はイタリアの"フィレンツェ"にて誕生。
当時のヨーロッパは王侯貴族に職人が宝石・家具・絵画・革製品などを作成していました。
シュルツ(ドイツ人)とポールマン(イタリア人)は伝統の家具職人の経験を活かして、
良質のヨーロッパ木材だけを使用した「家具との調和」を提唱し製作、
木目が表現する妙技は絶賛の一言に尽きます。
寄せ木手法の"ピーコックウォルナット"は木工技術の集大成。
饗版にはバイオリンのストラディバリウスで有名なイタリア産
フィーメ地方の「フィーメとうひ材」を使用しています。

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SCHUERMAN
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キンボール社(KIMBALL)が取り扱ったブランド
→詳しくはKimballの項目へ 
SCHUG & SÖHNE
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詳細不明
SCHUMANN

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SCHUMANN シューマン アメリカ  エスティピアノ (ESTEY PIANO CORPORATION)

珍しく大音楽家の名前がその名称として付けられているピアノで、エスティピアノに属する。
なんと100年以上このブランド名で作り続けているといいます。
すべてのピアノにダイレクトブローアクションが付けられ、レスポンスと共に音色の点でも
優れていると伝えられるピアノです。

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SCHUNARBEL
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SCHUNARBEL シュナーベル トニカ楽器(浜松) 詳細不明
株式会社トニカ楽器の当時の住所:浜松市浅田町1666番地
SCHUTZE, GEBR
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SCHUTZE,GEBR 読み方不明 ドイツ 詳細不明
SCHWANDER
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シュワンダー イギリス? 詳細不明
SCHWECHTEN
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GEORG SCHWECHTEN ゲオルク・シュヴェヒテン(シュベヒテン)
1853年創業 ドイツ(ベルリン)

<以下、ウィキペディアより引用抜粋>
ゲオルク・シュヴェヒテン(Georg Schwechten、1827年2月4日シュトルツェナウ生、
1902年8月19日ベルリン没)は、19世紀後半のベルリンの卓越したピアノ製作者の一人である。
オリジナルの保存状態のよい、または修復されたシュヴェヒテンのアップライトピアノおよび
グランドピアノは今でも称賛に値すると見なされており、珍しい。
ゲオルク・シュヴェヒテンは1853年に兄のハインリッヒ・シュヴェヒテン(1812年-1871年)によって
1841年にベルリンKoch通り11番地で開業されたスクエア・ピアノの工房を引き継ぎ、
弟のヴィルヘルム(1833年-1900年)と共に1853年にG. シュヴェヒテン社を創業した。
1861年、ゲオルクはKoch通り60番地に工場を建設し、その後隣の不動産も取得した。
G. シュヴェヒテン社のピアノはすぐに大きな名声を得た。
ゲオルクの死後、娘のAnna Maria Clara Fiebelkornが会社を引き継いだ。
彼女はSchwechtenhausを建設した。
ヴィルヘルムの息子フリードリッヒとヴィルヘルム(1880年-1954年)は1910年に
Pianofabrik Schwechten & Boesを設立した。
(1911年からGebr, Schwechten、1912年からFriedrich Schwechten、ヴィルヘルム通り118番地)
1918年、2人とも親会社に戻った。ピアノ生産は1854年に始まり、1925年まで続いた。
シュヴェヒテンピアノは1839年にゲオルク・シュヴェヒテンの兄ハインリッヒの店で始まった。
ゲオルク・シュヴェヒテンは1853年にベルリンで店を構え、優美な手作りピアノを専門とした。
この素晴らしいピアノはゲオルクが死去した1902年に終わった。
「Schwechten」のブランド名は中国の上海鋼琴有限公司(Shanghai Piano Co. Ltd.、1895年創業)
によっても使用されていたが、ドイツのSchwechtenとの関係は不明である。
SCHWEIGHOFER
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SCHWEIGHOFER 読み方不明 イギリス? 詳細不明

SCHWEIZER STEIN

SCHWEIZER STEIN

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SCHWEIZER STEIN (SCHWEIZERSTEIN)
シュバイツァスタイン/(シュバイッツァスタイン)/(シュバイツァースタイン)

製造:ワールドピアノ[ワールド楽器]製作所(磐田市)
製造:日本シュバイツアピアノ製作所/(株)シュバイツァ技研(磐田市)
発売元(当時):原ピアノ(東京原宿)

昭和30年、磐田市にワールドピアノ製作所を設立して作ったピアノ。
昭和48年に日本シュバイツアピアノと社名を変更した。
東京では原宿の原ピアノが販売に当たった。
シュバイツァー博士が命名したと伝えられ、世界9カ国に特許を持つ特殊な考案の刻み目の入った響棒を使い、
また、その他、スパイラル響板なども使った特殊な楽器である。
ワールドピースの項も参照。

<附録>
シュバイツァスタインピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1974年~1999年) →★

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SCHWESTER



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SCHWESTER シュベスター

製造:協信社ピアノ製作所(東京蒲田)、シュベスターピアノ製造KK(東京蒲田)
製造(現在):(有)エスピー楽器製作所(磐田市)

松崎妙氏は、木工技術者の松川賢一氏、塗装の小原太作氏の3人の技術者によって、
昭和4年(1929年)に、東京蒲田に協信社が設立され、シュベスターのブランドでピアノが作られた。
松崎氏はアクション製作、張弦を担当した。
シュベスターは手作りの楽器として美しい音を誇ってきた。
この協信社がシュベスターピアノ製作所の前身である。
創始者である松崎妙氏は、1899年愛知県生れ。
1912年頃に東京大井町にあった東京楽器研究所に入っている。
その後関東大震災で職を失うが、東京蒲田楽器製作所(蒲田ピアノ)と松本ピアノで製造技術を磨いている。
当時ピアノの価格は法外に高かった。
その頃ヤマハのアップライトは500円、800円、1000円、1200円の4種類であったと
伝えられているが、協信社では、1000円のピアノ1種類だけを、月1台から1.5台作り続けたという。
当時は物品税もない時代である。試みに協信社の1ヶ月の損益計算を分析すれば、
次のように明快に黒字を生むものであった。
1台のピアノの材料費は、木材が10円、ワイヤーが10円、アクションが国産で35円、
外国製で70円、その他を含めても100円ぐらい。
製品は卸値で相手が買いに来た時は定価の半額、逆に売り込んだ時は5割5分引きの450円で売れた。
つまり1台売れれば一人が80円づつの給料を受け取っても、なお110円から160円の利益が残ったのです。
協信社はこのようにして次第に大きくなっていったのである。
シュベスターは調律師を通じての受注生産がほとんどで、過剰在庫を抱えることもなかった。
シュベスターの響板は北海道のエゾ松を専用に使い、輸入品のスプルースは全く用いない。
その理由はスプルースは材質が硬く、音のダイナミックレンジが狭いためであるという。
なお、響板の加工は一切手加工で行われ、これによりピアノに魂を吹き込む。
エゾ松以外の材料を使わないのはこの会社だけであると聞く。その他レンナーハンマーを使用している。
シュベスターピアノはベーゼンドルファーと同様に生産台数が伸びない珍しいメーカーであった。
創業以来の生産台数は50年でわずか2万台である。

シュベスターピアノの製造番号付けには少し工夫が凝らしてあり、
アップライトの場合、上から2桁の数字が昭和○○年とすぐ分かるようになっています。
※平成に入っても数字を加算すれば解読可 (ちなみにグランピアノドの場合は1984年までならこの方式で解読可)
<附録> シュベスターピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1981年~2012年) →★

<シュベスターピアノの歴史とシュベスターピアノ詳細>
初期の頃のシュベスターピアノは松本ピアノを真似て作られていました。
ちなみに松本ピアノは旧東ドイツのチンメルマンピアノを真似て製作です。
第1号機は田園調布の佐治家へ納入されましたが、現在そのピアノは武蔵野音楽大学へ寄贈され、
同大学構内(練馬区江古田)にある楽器博物館に保存されています。
その後、シュベスターピアノは1952年、芝白金の調律師斉藤義孝氏の指導により、
ウィーンの名器ベーゼンドルファーのアップライトをコピーしたものに変更されました。
尚、グランドピアノはスタインウェイの”D型”をコピーしたものと言われています。

第二次世界大戦中はピアノの製造を不可能に追いやりました。
戦時中、他社大手のピアノメーカーは飛行機の部品などを作っていましたが、
シュベスターピアノでは魚雷の弾頭と内部の火薬筒を製作していました。
材料不足のため、木材で作り、漆で塗り固めたと伝えられています。

敗戦後はさらにピアノ製作という本来の志から離されてしまいましたが、鍋のふたや、下駄、机、
タバコを巻く機械、椅子、洋服ダンスなど、あらゆるものに手を出し食いつなぎました。
戦後最初のピアノを作ったのは1950年で、ビリヤードの台に使うラシャ
(ビリヤード台の表面に使う縫い合わせのない大きな布)などの代用品を集めて作り、
これが出荷されたときは喜びのあまり、全員で万歳を叫んだと伝えられています。

機種:No.51、No53等

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SCOTSMAN
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SCOTSMAN スコットマン 中国
※ニエアール/ニエアル NIEERの項目参照
SECILIA
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SECILIA セシリア 日本 詳細不明
SEICO
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SEICO セイコー 精宏社ピアノ製作所 詳細不明

SEILER

SEILER

SEILER ピアノ

SEILER PIANO

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SEILER ザイラー ドイツ(旧西ドイツ) →現在は韓国の三益楽器(サミック)に買収され存続

家具職人で音楽家でもあったエドゥアルト・ザイラーは、自身の名を付けたピアノ会社を設立した。
ザイラーの目的は、プロの音楽家の要求に応えるピアノを作ることだけではなく、それらのピアノを通じて
「文化に造詣の深い中産階級の人々が容易に音楽に触れられるようにすること」でもあった。

<歴史>
創業1849年 ドイツのリーグニッツ(現在のポーランドのレグニツァ)で小さな会社としてピアノ製造を開始。
コンサートピアノのような高級品だけではなく大衆的で高品質なピアノを目指しました。
1870年までに1000台のピアノを製造し、2年後にはその2倍にもなった。
ピアノ作りの職人技を各方面から称えられ、1872年にモスクワの品評会で金メダルを獲得したことにより、
ザイラーの名声は一気に高まった。
1875年に創立者のエドゥアルトが亡くなると、1879年に息子のヨハネス・ザイラーが会社を引き継いだ。
ザイラーは120人のピアノ職人を雇い、世界中の見本市で賞を取る品質の優れたピアノを作り続け、
1898には25000台を超えるピアノを世に送り出した。
ザイラーピアノはウィーン、アムステルダム、メルボルン、シカゴ、ベルリン、ミラノなどの
コンペティションで次々に受賞し「ザイラー」というブランドを世界的な存在にしました。
1923年、ヨハネスの娘婿アントン・ドゥーツはヨハネスの跡を継ぎ、経営責任者として就任。
アントンはザイラーの成功を維持させ、435名の社員を抱えるピアノメーカーへと成長させ、
年間3000台のピアノを製造するまでになり、ドイツ東部で最大のピアノ工場となりました。
第二次世界大戦後、ザイラーはリーグニッツ(現ポーランドのレグニツァ)にある本社と工場を
手放すことになり、一家はデンマークへと逃れた。
1945年の混乱の中、アントンの息子ステファン・ザイラーはザイラーピアノのフレームと
設計図を修復するために人生をかけて取り組んでいました。
彼の努力によりザイラーのレグニツァモデルピアノの生産がデンマークのコペンハーゲンにて再開、
更には1962年ドイツ・バイエルン州のキッツィンゲン(KITZINGEN)に工場を再建することに成功。
1977年には工場を拡大してコンサートホールと研修施設を併設するようになった。
現在もザイラーピアノはキッツィンゲン工場にて生産されており、ザイラー一族のウルズラとマヌエラが所有。
この2人はメーカー独自の音を守ることに専念しています。
ザイラーのアップライトピアノには、特許を取得したスーパー・マグネット・レペティション・アクションが
採用されている。これは従来のアクションに用いられるスプリングに代わり、二つの磁石を使ったもので、
この磁石によって鍵盤が3分の1しか戻らないうちに次の打鍵が可能になるというものだ。

フレーム右上にはザイラー社縁の人たちの肖像画がデザインされているのが印象的です(写真中央)
ピアノ天板の裏側にはロゴマークと共に ”DER ECHTH SEILER” とあります →★
ザイラーアクション →★   バーズアイメープル(バーザイメープル材)を使った美しいピアノ外装 →★

<附録>
ザイラーピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1870年~2000年) →★

<以下、ウィキペディアより引用抜粋>
ザイラー・ピアノフォルテファブリック(Seiler Pianofortefabrik)GmbHは、
ドイツ・バイエルン州ウンターフランケン行政管区キッツィンゲンに本部を持つ
グランドピアノおよびアップライトピアノ製造業者である。
最初の工場は1849年にエドゥアルト・ザイラーによってシュレージエン州リーグニッツ
(当時はプロイセン王国の一部)に開かれた。
2008年以降、ザイラー社は三益楽器(サミック)によって買収され存続している。
ザイラー社は1849年にエドゥアルト・ザイラーによってニーダーシュレージエン州
リーグニッツ(現在のポーランド・レグニツァ)で創業された。
1873年、エドゥアルト・ザイラーは蒸気駆動の工場を建設し、1874年には100名を越える労働者を雇用した。
しばらくして、エドゥアルト・ザイラーは死去した。
1879年、兄弟のヨハネス・ザイラーがピアノ職人として修行し、1879年末に工場の技術管理を引き継いだ。
会社はドイツ東部で最大のピアノ製造業者になった。
第二次世界大戦の終わりに、ザイラー家と残っていた従業員は避難しなければならなかった。
当面の間は、コペンハーゲン(デンマーク)で生産が再開された。
1961年、ウンターフランケン行政管区キッツィンゲンに工場が再建された。
会社は数多くの技術革新を行い、特許を取得した。
自身の表現によれば、ザイラーは最も大きな製造の垂直的範囲(内製と外注の比率)を持つ
ドイツのピアノメーカーである。
1945年以降、ポーランドに位置していたザイラーの元の工場は1988年まで「Legnica」および
「Th. Betting」ブランドのピアノを製造していた。
1963年、ブラウンシュヴァイクのピアノ製造業者ツァイッター&ヴィンケルマンが
ザイラーグループに加わった。
高品質ピアノの全世界における売上の不振により、ザイラー社は2008年7月に破産を
申し立てざるをえなかった。2008年11月、会社と残った従業員のほとんどが韓国の楽器メーカー
三益楽器(サミック)によって買収された。

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SEILER. ED SELLER.ED 旧西ドイツ 同上
SERESARCH
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SERESARCH セレザーク 製造:フローラピアノ製造(株)(浜松)
森健氏の指導があった。
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SETTERGREN
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SETTERGREN セッターグレン アメリカ
エスティ(ESTEY PIANO CORPORATION)のブランド
SHANGHAI
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SHANGHAI シャンハイ 中国  
※ニエアール/ニエアル NIEERの項目参照

SHCHIED MAYERR

SHCHIED MAYERR

SHCHIEDMAYERR ピアノ



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SHCHIED MAYERR & SONS/SHCHIED MAYERR
シードマイヤー

元々は浜松ピアノ製造株式会社で製造していたブランドで、
後に協立楽器の持ちブランドとして韓国で製造。

ドイツ製シードマイヤー(SCHIEDMAYER)とスペルが違うところに注目 (HとRが余計に入っています)

同社が販売していたローレックスピアノと同系のピアノです。
その他詳細不明。
下から2枚の写真はグランドです。

シードマイヤーの保証書 →★  シードマイヤーで使用のアベル(ABEL)のハンマーヘッド →★
シードマイヤー独特のアグラフ →★  シードマイヤーのまくり(蓋)部分の銘柄マーク →★
シードマイヤーグランドのデカール →★

■機種バリエーション
KS-122M、KS127M、KS-133M、US-500など
SX-380、SG-157、SK3、SK2、嵯峨野など(協立楽器販売での機種)

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SHERLOCK-MANNING
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SHERLOCK-MANNING PIANO CO.,LTD  シャーロック・マニング

カナダ オンタリオ州クリントンで作られているピアノで、創業以来アップライト専門。
戦後は全製品をカナダ国内で販売・消化していたがその後輸出も展開したとの情報。

SHIGERU KAWAI


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シゲル・カワイ/Shigeru Kawai

カワイ製、グランドピアノのみ。
匠の技が凝縮されたグランドピアノとのことです。 

一般向けグランドピアノとフルコンサートグランドの中間的ピアノ。

シゲルカワイの公式サイトはこちら →★

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SHINGHAI 星海 →XINGHAI の項目へ
SHINCO
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SHINKO?SHINCO? シンコー 新興楽器製造KK(長野県辰野町) 詳細不明
SHINHAKKEN 正しいスペルは、SINHAKKENです。
→SINHAKKEN「新白鍵」の項目へ
SHU


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SHU シュー

周ピアノ工場(周興華洋琴製作所)横浜天神橋近く

横浜のS.CHEWと同じく、周譲傑氏の手によるもの。
大正時代中期、上海出身の中国人、周筱正(しょうせい)氏は横浜に工場を建て、
ピアノを製造していた。だが筱正氏は関東大震災で命を落とし、工場も閉鎖。
長男の譲傑(じょうけつ)氏が昭和初期に復興したが、譲傑氏も終戦直後の1946年に死去。
親子二代の「周ピアノ」は約30年でその歴史を閉じ、日本には3台しか現存していない。
詳細はS.CHEWの項目参照。

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SHUTEINVICH
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SHUTEINVICH?スペル不明 シュタインヴェッヒ ドイツ 詳細不明
SICHER


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SICHER ジーヘル(チッヘル?)読み方不明

茂呂ピアノ

松本ピアノの木工の名人と云われた茂呂芳蔵氏が、
かなりの早わざでこしらえたピアノ。
アクションのアレンジに、少々の冒険があったと伝えられている。
 SILBER STEIN


TOKAI ピアノ 画像クリックでHPへ戻る
シルバースタイン 製造:トーカイ楽器 (東海楽器製造株式会社)

TOKAI(トーカイ)同様、ドイツのシンメル社のモデルをもとに設計されています。
→東海楽器に関する詳細な解説は、TOKAI(トーカイ)の項目参照

※TOKAI(トーカイ)、HUTTNER(ハッツナー/ヒュッツナー)、
GOLDSTAR(ゴールドスター)というブランドもトーカイ楽器の製造です。

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SIMON
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中国広州 詳細不明
SINGER
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SINGER PIANO CO.  シンガー
アメリカ(シカゴ) 詳細不明
SINHAKKEN
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SINHAKKEN 「新白鍵」  ※SHINHAKKENではなく、SINHAKKENが正しいスペル
マイクロネット株式会社(Micronet Inc.)製作

黒鍵が一つもなく白鍵だけの不思議なピアノです。初めて見たときはびっくりしました。
マイクロネット株式会社の製作したピアノで、2014楽器フェアでお披露目されました。
白鍵No.88(C8)専用アクリのみを、なんと52枚!も使っています(技術者目線です)
ピアノ自体はスタインウェイを改造して作っているようなので、ピアノメーカーとは言えませんが、
新しいピアノブランド名として一応ここに掲載しておきます。

<参考>
「新白鍵」は商標登録済み (登録番号:第4711493号 登録日:平成15年9月19日) j-platpat公開情報
「新白鍵」は意匠登録済み、「新白鍵」は特許出願済みとのこと。※2013年12月現在
新白鍵の紹介ページ https://www.microscope-net.com/topics/000359/

→その他、詳しくはYouTubeで 「新白鍵 ピアノ」 と検索すると演奏中の動画も出てきます
SOHMER


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SOHMER & CO.INC. ゾーマー 創業1872年 アメリカ
工場:ロングアイランド

アメリカで作られているピアノのうちで、古い歴史と伝統を持ち、高品質を誇り、
更に輝かしい名声を持っているピアノメーカーの一つである。

初代のゾーマーは1884年にベビーグランドを発明し、同年に5本足による
グランドピアノのパテントを取っている。この五本脚のベビーグランドを85年間も
専一に研究開発し続け、現在50型とよばれる優れた小型のピアノを作り出しました。
この楽器の特徴は、ケースが真円を半分に切ったような(半月)のような形で、
左右対称となっており、音質が抜群に優れていることにあるといわれる。

もちろんアップライトピアノも作っていて、極めて耐久性が高く、販売の際には
20年の保証もつけているといいます。
一般には、ピアノは有名な演奏家の推薦や保証によって売れ行きがよくなるものであるが、
このゾーマーピアノは、それら販売手法を誤りとして拒み続けてきました。
ゾーマーピアノの政策上の信念は、『人間の叡智と技術と職人気質、そして家系の伝統とが
重なり合って、初めて最高品質のピアノが出来上がる』ということが基礎になっている。

MASON & HAMLINや、FALCONEの項目も参照

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SOJIN
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ソジン 韓国 詳細不明
※機種:DW-1、RS21D等

韓国のSOJIN工場(Daewoo Group/大宇財閥)で作られたピアノ、との情報あり
アップライトに加え、グランドも製造

トレードマークが「ROYALE & SONS」と同じです
SOMMERFELD 詳細不明
SONARE


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SONARE ソナーレ
※正しいスペルは「SONARE」で、「SONALE」ではないので注意

製造:日本楽器横浜工場(横浜)、発売元:十字屋楽器店
十字屋楽器店が日本楽器横浜工場で作らせていたブランド。
※1969年の梅宮辰夫主演の映画『不良番長 送り狼』に出ていたピアノとの情報あり

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SONATA
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ソナタ ロシア製? 詳細不明
SOUTER
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アトラス販売? 詳細不明
SPAETHE
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SPAETHE スペーテ ドイツ 詳細不明
SPENCER
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 Spencer スペンサー  イギリス(ロンドン) 詳細不明
SPILMAN


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SPILMAN スピルマン

(有)小野ピアノ製作所(浜松市)
昭和32年頃の浜松の(有)小野ピアノ製作所で作られていたという記録がある。

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 SQUIRE & LONGSON
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 Squire & Longson スクワイアー&ロングソン イギリス(ロンドン) 
下のスクワイヤーと一緒? 詳細不明
SQUIRE & SONS
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スクワィアー イギリス 詳細不明 B.SQUIRE & SONS
STANDARD


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STANDARD スタンダード

日米楽器工業所(アトラスピアノ社の前身)浜松
アトラスピアノ社の前身、日米楽器工業所で作られたブランド。
85鍵で14万円で売り出されたものもある。

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STECK
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STECK ステック ドイツ 詳細不明
STECK




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STECK & CO.INC.GEORGE ステック  アメリカ 工場:ニューヨーク

エオリアン・アメリカン・コーポレーションの子会社で作られているアメリカの伝統的なピアノ。
工場はニューヨークにあって創業は1857年。以来、各地の展覧会で賞を取っており、
有名なリヒャルト・ワーグナーもこのピアノで楽劇(オペラ)「パルジファル」を作曲したと伝えられています。
ワーグナーが使ったジョージ・ステックのピアノは、彼の友人が寄贈したもので、現在でも
ベイルートのワーグナーの別荘に保存されているとのことです。
ステックはアップライトとグランド双方が作られており、耐久性と高品質の点で定評があり、
多くの一般学校や音楽学校などで使われています。

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STEINBACH
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STEIN BACH スタイン・バッハ イタリア 詳細不明
STEINBACH



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STEINBACH スタインバッハ

(株)平和楽器製作所 (平和ピアノ研究所) 浜松市

昭和14年から作られていたアップライトピアノ。
同社は戦時中、航空機生産の下請けをしていたが、昭和21年平和ピアノ研究所として製造を再開し始め、
昭和26年に現社名となった。台湾、東南アジアに輸出していた。
平和楽器製作所(創業1939年)
エンブレム画像は「PIANO YOSHIKAWA様」よりご寄稿頂きました。ありがとうございます!

<附録>
スタインバッハピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1975年~1990年) →★

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STEINBERG


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STEINBERG スタインバーグ、スタインベルグ

日産楽器(浜松市)、浜名ピアノ製作所(浜松市)

日産楽器はこの他に、ウェルバー、スタインメル、K・ヘルマン、
タカラヤマトなども製作した。
STEINBERGはドイツ製やイギリス製にも同じ名前があるが異なる。

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STEINBERG
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STEINBERG スタインベルク イギリス 詳細不明
STEINBERG


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WILH.STEINBERG ヴィルヘルム・スタインベルグ/(ウイルヘルム・スタインブルグ)
ドイツ 創業1877年

発売元:東洋ピアノ(現在取り扱い中止)→現在は島村楽器の持ちブランド
製造:スタインベルグ社(アイゼンベルグ) 元はヨーロッパのブランドですが、現在は中国OEM製造

<以下、ウィキペディアより引用抜粋>
Wilh. シュタインベルク(ヴィルヘルム・シュタインベルク、Wilh. Steinberg)は、
ドイツ・テューリンゲン州・アイゼンベルクのテューリンガー・ピアノフォルテ
GmbH(Thüringer Pianoforte GmbH)が販売するアップライトピアノおよび
グランドピアノのブランドである。
日本ではウィルヘルム・スタインベルグとも読まれる。
2008年から香港を拠点とする柏斯琴行(Parsons Music Group)が経営に参加し、
2013年にテューリンガー・ピアノフォルテ社はParsons Music Groupの完全子会社となった。
2018年現在、WILH. STEINBERGブランドのピアノは、Signatureシリーズが
テューリンガー・ピアノフォルテ社の管理の下で、中国本土・香港地域向けのピアノは中国湖北省宜昌市に
所在する宜昌金宝楽器製造(Yichang Jinbao Musical Instrument Manufacturing)で製造されている。
1877年、アドルフ・ハインリッヒ・ガイヤー(Adolph Heinrich Geyer)がアイゼンベルクで
最初のピアノ工場を設立した。
1896年から1902年まで一時的に社名を「Tuch & Geyer(トゥーフ・ウント・ガイヤー)」としたが、
1903年に元のA. Geyerに戻した[5]。1900年代始めに会社は成長し、
「A. GEYER」、「Fuchs & Mohr」、「Wilh. Steinberg」、「Weisbrod」、「Sassmann」などの
ブランドのピアノを製造した。
第二次世界大戦中にアイゼンベルクのほぼ全てのピアノ工場は接収・破壊されたが、
ガイヤー家のピアノ工場は長い歴史のため徴発を免れた。
ドイツ民主共和国(東ドイツ)時代(1949年-1990年)、ガイヤーの工場(WILH. STEINBERG AG)は
VEB Pianofortefabrik Eisenbergとして国有化された。
東ドイツの転換(ドイツ再統一)後、Eisenberger Pianofortefabrik GmbH
(WILH. STEINBERG AG) が再設立された。
1999年に社名をテューリンガー・ピアノフォルテGmbHとした。
テューリンガー・ピアノフォルテはOEM契約の下でその他いくつかのヨーロッパの
ピアノブランドを製造・仕上げを行っている。

スタインベルグの公式メーカーホームページ →★

<下記は東洋ピアノHPより抜粋>
1877年、ピアノメーカーとして最古のピアノシティであるアイゼンベルグにて創業。
それ以前より同所にてピアノの部品メーカーとして一流ピアノメーカ-に部品を供給してた。
ドイツピアノの特有な固めの音"ブリリアントサウンド"は敷物カーペットとの融合を配慮し、
マイスター職人の伝統と感性、経験だけが持つ音質の継承は芸術の一品といえます。
「白ぶな」「赤ぶな」「かえで」「菩提樹」「イチイ」「はんの木」などの
ヨーロッパだけに成育するピアノに適した優良木材を使用。
「無垢材」としての美しさ、木材の「年齢」で決定する音質の美しさを実感ください。
すべてのスタインベルグピアノは、ピアノ作りのパフォーマンス的要素と音楽的優秀性との間に
完璧なバランスを実現させ、トレードマークの"IQマーク(Intelligent Qualitiy-聡明な品質)"
がつけられています(HPより抜粋) 

<下記は島村楽器のHPより抜粋>
1877年、ドイツ東部のテューリンゲン州・アイゼンベルグ市にて創業。
ドイツでも厳しい基準を持ったピアノメーカーに部品を提供することで、高度な技術力を持つ
ピアノ製造工場へと成長していきました。
創業以来、ドイツの伝統的な設計を活かしながらピアノを製造し続けるアイゼンベルグの工場と、
世界的に有名なピアノを数多く生産する設備の充実した中国工場で、
2007年よりWILH.STEINBERG社の技術指導のもと製造しています。
そのうち、日本国内で販売されるピアノは、40年以上ピアノ製造と修理に携わる日本人技術者によって、
国内入荷後に浜松の工房で音の最終調整を行い、丁寧に仕上げられています。
何世紀にもわたり培われてきた職人の感性・熟練の技術と、最新のピアノ製造技術から
産み出された芸術の逸品をお届けします。(HPより抜粋) 

まだ調律したことはないですが、一昔前の中国製造のピアノよりははるかに良くなっていると思います。
実際に調律する機会があればここに率直な感想を書こうと思いますので今しばらくお待ち下さい^^

ウィルヘルムスタインベルグのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★
STEINBURG
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スタインブルグ 中国 詳細不明

STEINER

STEINER ピアノ

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スタイナー

U-1、U-2E、U-2M、U-3M、U-5などの機種があります。

当時の販売元は協立楽器株式会社です。
その他、詳細不明。

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STEINGRABER & SOHNE


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STEINGRAEBER & SÖHNE (SOHNE) Steingræber & Söhne
創業1852年 ドイツ、バイロイト
シュタイングレ-バ-&ゼ-ネ (シュタイングレーバー・ウント・ゼーネ)

シュタイングレーバーウントゼーネ社は1852年に29歳のエドゥアルト・シュタイングレーバーによって設立。
もともとシュタイングレーバー家はチェンバロ製作を行っていたが、若きエドゥアルトは旅行中に、
ウィーンのシュトライヒャーに出会ったことが運命となり、ピアノ製作の道へと進んだ。
品質の優れたメーカーとして、シュタイングレーバーはすぐさま評判となり、
1874年にはリヒャルト・ワーグナーに特別なピアノの製作を依頼された。
このピアノは、オペラ「パルジファル」の聖堂の場面で用いられ、鐘の音がするピアノだったという。
1892年に、エドゥアルトの息子のヨハンとブルクハルトが経営に加わりった。
その後、1910年にヨハンはベルリンに移って優れたチェンバロ制作者になった。
1920年に、ブルクハルトの義理の息子ハインリッヒ・ヘルマンが社長に就任し、1951年にはその甥の
ハインリッヒ・シュミットが引き継いだ。
現在も、シュミット=シュタイングレーバー一族がこの会社を経営している。

シュタイングレーバー・ウント・ゼーネ社は地球環境にも優しい楽器など、オーダーメイドのピアノも製作する。
この会社は外装に天然の塗料や接着剤を用いたり、鍵盤表皮に牛骨を使用したりするなど、有機材料のみで
ピアノを製作することを得意としている。
また、古くなって内部の修理が不可能となった場合には、そのピアノの外装を再利用して新しいピアノを
組み立てるということもしている。
尚、シュタイングレーバー・ウント・ゼーネ社は、足の不自由な演奏者のためのピアノも製作している。
このピアノは、演奏者がもっとも操作しやすい場所にレバー式のサスティン(ダンパー)と弱音装置がついている。
このようなことから、シュタイングレーバーウントゼーネ社は、おそらく世界で最も特異なピアノ会社であろう。

シュタイングレイバーはBVK認証を受けています(詳しくはこちら →★

<附録>
シュタイングレーバーピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1860年~2001年) →★

<以下、ウィキペディアより引用抜粋>
シュタイングレーバー&ゼーネ(Steingraeber & Söhne、シュタイングレーバーと
息子達〔シュタイングレーバー家〕、の意)は、ドイツのアップライトピアノおよび
グランドピアノ製造会社である。
この同族会社はバイロイトの歴史的なロココ様式の大邸宅シュタイングレーバー・ハウスに本社がある。
ウド・シュミット=シュタイングレーバーが家業を率いるシュタイングレーバー家の6世代目である。
会社の起源はチェンバロを製造していたテューリンゲン州ルドルシュタットの家族にある。
一家はノイシュタット・アン・デア・オルラに拠点を置き、楽器製造を再開した。
エドゥアルト・シュタイングレーバーは1823年に生まれた。
エドゥアルトは初め叔父のゴットリーブ・シュタイングレーバーに弟子入りし、その後、
有名なアウクスブルクのピアノ職人アンドレアス・シュタインの娘でウィーンのピアノ職人
ナネッテ・シュトライヒャーの工房など様々な場所で働いた。
そこに滞在している間に、エドゥアルトはフランツ・リストのコンサートツアーへの同行を許され、
リストが彼の演奏で「破壊した」ピアノとグランドピアノの世話をした。
1852年、エドゥアルト・シュタイングレーバーはピアノフォルテファブリーク・シュタイングレーバー
(シュタイングレーバーピアノ工房)をバイロイトで創業した。
シュタイングレーバーは1871年にフリードリヒ通りにあるリーブハルト邸を購入し、本社とした。
以後はシュタイングレーバー・ハウスの名を冠している。
会社はすぐにバイエルン王国で最大のピアノ工場となった。
シュタイングレーバーはワーグナー家やバイロイト音楽祭(始まった1876年以降)にもピアノを供給してきた。
1881年、リヒャルト・ワーグナーは自身の歌劇パルジファルの寺院の場面で使われる
パルジファル・ベルとして知られる楽器を発注した。
大量生産期の間は、シュタイングレーバーの(20人のピアノ職人を含む)30人を超える従業員は
今でも大部分手作りされている高品質ピアノの製造を専門にしていた。
ケースは頑丈な木で作られ、パーティクルボードが使用されたことはない。
シュタイングレーバー&ゼーネはポリエステルや合成樹脂ワニスではなくシェラックや蝋で
ケースの表面を処理している。会社は車椅子使用者のピアノ演奏を単純化するため、
とりわけ足を使わない実用的なペダルの操作方法を提供するためのの技術的解決策を模索している。
シュタイングレーバーは現在のところ年間40台のアップライトピアノと17台のグランドピアノを生産している。
しかし、会社が創業されてからは、シュタイングレーバー&ゼーネは4万台を超えるグランドピアノと
アップライトピアノを製造している。
2008年のムジークメッセ・フランクフルト(国際見本市)において、シュタイングレーバー&ゼーネは
全長が232 cmある新型グランドピアノとカーボンファイバー響板を持つグランドピアノを発表した。
この種の構造は極度の気候変動にさらされる楽器を調律する際の安定性を高める。
例えば、グランドピアノが熱帯の屋内に置かれるか野外コンサートで演奏されるならば、
カーボンファイバー響板は道理にかなっている。
左ペダル機構は強化されてきている。ピアニストが左ダルを押し下げると、通常の通りに機構がシフトする。
もしピアニストがペダルを押し下げ続けると、ハンマーは弦にさらに近付く
(アップライトの弱音ペダルと同様の動き)。
これによりピアニッシモの音量での極めて柔らかい演奏が容易になる。
シュタイングレーバーはブリッジ(上駒)を横切って弦を導く別の手法を開発してきた。
これは試験的に実装された古い着想に基づいている。
通常、弦はジグザグ様式の2つのブリッジピンにつながれる。
シュタイングレーバーの代替手法の場合は、ブリッジのアグラフが金属製ローラーを通じて弦を導き、
上からブリッジへと弦を押し付ける。加えて、高さが調節可能なヒッチピンによって弦の張力の調節が可能となる。
この設計特性の背景にある考えは2要素からなる。
ブリッジを横切る均一な弦の張力はエネルギー伝達を改善し、ブリッジピンにおける著しい弦の摩擦が
もはや存在しなければ調律とそれを保持する能力が最適化される。
現在のところ、これらはグランドピアノ生産における標準装備ではない。
しかし、顧客は追加費用を払うことでこれらを注文することができる。
シュタイングレーバーでは、標準的な革張りのナックル(ハンマー)ローラー機構の代わりとして
ボールベアリング機構が利用可能である。
これによるジャックのより低摩擦での開放がレペティション(反復打鍵)の改善を可能とする。
アップライトピアノでは、シュタイングレーバーはジャックの先端とハンマーバットにバネではなく
磁石を組み込んでいる。この磁石はジャックが開放された後、動作位置に戻す。
このシステムは手入れが要らず、より速く、より正確な反復打鍵をもたらす。
シュタイングレーバーは高さが122、130、138 cmのアップライトピアノを製造している。
グランドピアノは全長170、192、212、232、272 cmが販売される。
シュタイングレーバーはまたカーボンファイバー響板とブリッジアグラフを備えた未仕上げの
グランドピアノをイングランドへ出荷している。
このピアノはイングランドのHurstwood Farmのピアノ職人によって改良、仕上げがなされ、
Hurstwoodブランド名で販売されている。


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 STEINHOVEN
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 STEINHÖVEN 詳細不明
STEINMAYER
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STEINMAYER スタインマイヤー ドイツ 詳細不明
STEINMEL
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STEINMEL スタインメル 日産楽器(浜松市) 詳細不明

STEINMEYER

STEINMEYER ピアノ

STEINMEYER PIANO

STEINMEYER SK-

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スタインマイヤー
製造:遠州ピアノ製造KK(浜松市)、後にアトラスピアノ製造株式会社
発売元:協立楽器株式会社(神戸市)

当初は、遠州ピアノ製造(株)の主力ブランドで、後に協立楽器の持ちブランドになりました(高島屋販売)
ピアノ妻土台部分にアトラスピアノ製造のシールが貼ってあるもの →★ は、
後にアトラスピアノで製造されたピアノです。 一番上のトレードマークが遠州ピアノ時代のものです。

スタインマイヤーまくり部分の銘柄マーク →★  スタインマイヤーの調整検査カード →★
スタインマイヤーの文部省教育用品審査合格のシール →★
アトラスピアノ製造になってからのアクションレールに貼られたシール →★

スタインマイヤーのフレームのトレードマークはかっこいいデザインですね。
スタインマイヤーという名前のピアノは、イギリスやドイツにもありますがまったく違うピアノです。
一番上のエンブレム画像は「PIANO YOSHIKAWA様」よりご寄稿頂きました。ありがとうございます!

音量・音質、ピアノ自体の作りはとても良く出来ていると感じます。

■ 機種バリエーション SK-1、SK-2、SK-3など  ※スタインマイヤーの独特な巻線 →★

<ピアノ調律技術者向け附録>
張弦作業に役立つ当該機種ミュージックワイヤー配線仕様 →★

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STEINMEYER
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STEINMEYER スタインマイヤー イギリス 詳細不明

STEINRICH

STEINRICH

STEINRICH PIANO

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スタインリッヒ

製造:三葉楽器製作所(浜松市)、(有)スタインリッヒ・ピアノ(浜松市)、
発売元になったことあり:国際楽器(神戸市生田区)

浜松にあった(有)スタインリッヒ・ピアノのブランドです。
戦前は三葉楽器でつくっていました。
(国際楽器のブランドになったこともあるようです)

画像は「Atelier Pianopia」様からご寄稿頂きました。ありがとうございます!

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STEINWAY

STEINWAY ピアノ

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STEINWAY & SONS スタインウェイ・アンド・サンズ

そう、言わずと知れた世界一のピアノの名器です。スタンウェイと言う人もいます。
名だたるピアニストが皆こぞって愛するピアノです。
又、コンサートホールに納入されたフルコンピアノの台数としては世界一です。
スタインウェイには製造工場の違いからハンブルグスタインウェイと
ニューヨークスタインウェイの2種類に分かれ音色や特徴に違いがあります。
スタインウェイ社が1886年に特許を取得したサウンドベルはあまりにも有名。 →★

<創業>
ニューヨークスタインウェイ(アメリカ)→1853年創業
ハンブルクスタインウェイ(旧西ドイツ)→1880年創業

<歴史>
スタインウェイの創業者、ハインリヒ・エンゲルハルト・シュタインヴェークは、「木炭のマイスター」の家系に
産まれた。若い頃、火事で家族を失い、ワーテルローの戦いの集で軍隊に入隊する。
そこの兵舎では余暇の時間を使って、マンドリンやダルシマー、チターを作り、愛国歌を奏でたという。
除隊後、戦争から戻るとハインリヒは教会用オルガン職人の店の見習いとして働き楽器製作の技術を学び、
見よう見まねで1825年に最初のピアノを台所で作り上げる。
そして1835年、ゼーゼンでピアノ作りを本格的に始動し、その4年後の1839年には2台のスクエアピアノと
1台のグランドピアノをブラウンシュヴァイクの見本市(博覧会)に出展し、金メダル(一等賞)を獲得した。
増加する注文に応えるため、ハインリヒは3人の息子、テオドールとカールとハインリヒを店の経営に加えた。
1848年から1849年にかけてドイツでは革命が起き、家族は分散してしまう。
カールは1849年にニューヨークに渡り、新世界の驚異的な可能性について手紙で報告し、
家族の渡米を強く促した。テオドールはドイツの店を切り盛りするためにひとり国に残り、
あとの家族はニューヨークへ向けて旅立った。アメリカに到着すると、一家は名前をシュタインヴェークから
スタインウェイに改め、さまざまなピアノ工場で働いた。
1853年3月に、一家は家族会社を設立。これがスタインウェイの始まりだ。
彼らが製作した見事なピアノはすぐさま支持者を獲得していき、1855年、スタインウェイ社は
アメリカン・インスティテュートの大博覧会に総鉄フレームのスクエアピアノを出展し、ピアノ業界を驚かせた。
それから会社は大きく繁盛し、ニューヨーク4番街53丁目に巨大な工場が建てられた。
その同じ年、ドイツのテオドールはゼーゼンからブラウンシュヴァイクへ移り、
ゲオルク・グロトリアンと協力して会社を設立し、成功する。
弟たちが亡くなると、テオドールはグロトリアン・シュタインヴェーク社の持ち株を売ってニューヨークへ渡り、
父親の会社に加わった。
テオドールの夢は、誰も試みたことのない張力で弦を張ったグランドピアノを作ることだった。
テオドールは適切な合金を見つけ出すために冶金学を学び、接着剤やニス、その他原材料など
化学作用を研究した。またドイツへ戻って物理学者のヘルムホルツに会い、振動する弦と音楽の
物理現象について意見をきいたと伝えられている。
テオドールの最大の功績は1876年の「センテニアル」コンサートグランドである。
このピアノはデュープレックス・スケールやベントリム・ケースを備えたもので、それ以前までは
とても考えられなかったほどの弦張力(テンション)を支えるキューポラ鉄フレームが採用され、
また大きくなったハンマーヘッドを持ち上げられるようにアクションも強化された。
1889年、テオドールは45もの特許と、ほぼ改良の余地もないほどの完成度の高いグランドの設計を遺し、
この世を去った。創立者の末息子ウィリアムは、1871年にニューヨークにスタインウェイホールを設立し、
1876年にはロンドンにもホールを建てた。
1880年には、拡大するヨーロッパ市場向けのピアノを生産するためのハンブルク工場がオープンする。
またこの同年に、ウィリアムはロングアイランドに400エーカーの土地を購入しており、ウィリアムの死後、
60年の年月が経った1910年にアメリカのスタインウェイ工場は完成した。
1927年~1931年にかけて大恐慌によってスタインウェイ社は大打撃を受け、ピアノの生産高は激減。
第二次世界大戦中、スタインウェイ社は飛行機の部品を製作するように依頼され、また軍隊のための
持ち運び可能な小型アップライトピアノを3000台注文された。(これをG.I.ピアノと呼びます)
一方ドイツでは、ハンブルク工場が政府に没収され、そこではダミーの飛行機が製作された。
スタインウェイ一族は1972年に会社をC.B.S.に売却。
その後会社は1985年、スタインウェイ・ミュージカル・プロパティーズ・インコーポレーテッドに売却された。
そして現代の工学と伝統的な手作りの手法との適正なバランスをとりつつ、ピアノ製造業界以外からも
技術者が雇われ、ピアノの設計に変更が加われることなく生産工程の合理化が図られた。

<その他の特徴>
スタインウェイは、ピアノメーカー御三家の中の1つに数えられるメーカーです。
ピアノ御三家とは→スタインウェイ、ベーゼンドルファー、ベヒシュタインのことを指します。
セオドア(テオドール)・スタインウェイは現在では当たり前の交差弦のピアノを設計しました。
交差弦は、より力強い音量を得るためにグランドピアノのリム(側板)や、フレーム(鉄骨)、
ハンマーの設計を発展させたと言われています。
1872年に特許を取得した「デュープレックス・スケール」は、倍音を発生させることでピアノの音に対し、
豊かな色彩をもたらす仕組みである。これは、現にスピーキングレングス(弦が発音する部分)以外の
2箇所の追加区分を設ける設計で、追加部分はスピーキングレングスの発する基本周波数音に共振する。
1箇所目はフロント・デュープレックスバーとカポ・ダストロ・バーの間の部分で、2箇所目は響板上の
駒とフレーム上のデュープレックスバーの間の部分である。
1936年には円形膜状挙動響板の設計の特許取得。これは響板全体を反応させ、より自由な振動を促す。
円形膜状挙動響板は中央部が厚く、グランドピアノのリム内側に取り付けられている周縁部方向へ
向かうにつれてだんだん薄くなっているのが特徴です。
その他、スタインウェイについてはWikipediaに詳しく書かれていますのでご参照下さい。

■機種/モデルバリエーション (ハンブルグ工場製)
<グランドピアノ>
S:(奥行155cm)、M:(奥行170cm)、O:(奥行180cm)、A:(奥行188cm)、B:(奥行211cm)
<アップライトピアノ>
Z:(高さ114cm)、V:(高さ125cm)、K:(高さ132cm)

<附録>
スタインウェイ 製造年 対照表(1853年~1966年) →★  製造番号 (483~395,000)
スタインウェイ 製造年 対照表(1966年~2015年) →★  製造番号 (395,000~602,800)

<以下、ウィキペディアより引用抜粋>
スタインウェイ・アンド・サンズ(英: Steinway & Sons、通称: スタインウェイ)は、
1853年にアメリカ合衆国ニューヨークでドイツ人ピアノ製作者ハインリッヒ・エンゲルハルト・シュタインヴェーク
(後のヘンリー・E・スタインウェイ)によって設立されたピアノ製造会社である。
総合楽器製造複合体スタインウェイ・ミュージカル・インスツルメンツの一角をなす。
スタインウェイ社の成長はニューヨーク工場とドイツ・ハンブルク工場の開業につながった。
ニューヨーク・クイーンズ工場はアメリカ州に、ハンブルク工場は世界のその他の地域に製品を供給する。
スタインウェイは卓越したピアノ会社と評されてきており、高品質のピアノを作ることとピアノの発展における
多くの発明で知られてきた。スタインウェイは1857年から126のピアノ製作における特許を与えられてきた。
最高級グランドピアノ市場のスタインウェイ社の市場占有率は一貫して80パーセントを超える。
この支配的な地位は、ピアノの革新を妨げ、ピアニストが好む音の均質化の原因となると主張する
一部の音楽家および書き手によって批判されてきた。
スタインウェイピアノは非常に多くの賞を受賞してきた。最初に得た賞の一つは1855年にニューヨーク水晶宮で
開催されたアメリカン・インスティチュート・フェアでの金メダルである。1855年から1862年まで、
スタインウェイピアノは35の金メダルを受賞した。さらに多くの賞および表彰がこれに続き、
1867年のパリ万国博覧会では3つのメダルを受け取った。欧州スタインウェイは
イギリス女王エリザベス2世御用達称号を持つ。
主力のスタインウェイブランドに加えて、スタインウェイはその他2つのより低価格の
第二・第三ブランドを「ボストン」および「エセックス」というブランド名の下で市場に出している。
ボストンブランドは中間レベル市場向け、エセックスブランドはエントリーレベル市場向けである。
ボストンおよびエセックスピアノはスタインウェイのエンジニアによって設計され、アジアのピアノメーカー
(ボストンは日本のカワイ、エセックスは韓国のヨンチャンと中国のパールリバー)の工場において
スタインウェイ社員の監督の下で生産されている。
1820年代に、ドイツ・ニーダーザクセン州のゼーゼンで家具製作を営んでいた
ハインリヒ・エンゲルハルト・シュタインヴェーク(後のヘンリー・スタインウェイ)が第一号となる
ピアノを製作した。ハインリヒは1850年に妻と9人の子供のうち8人と共にドイツから
アメリカ合衆国へ移住するまで「シュタインヴェーク」ブランドの名でピアノを作った。
長男のC・F・テオドール・シュタインヴェークはドイツに残り、ピアノ販売業者のフリードリヒ・グロトリアンと
組んで、1856年から1865年までシュタインヴェークブランドのピアノの製造を続けた。
ハインリヒ・シュタインヴェークは米国へ移住の際に、英語風のヘンリー・スタインウェイに改名し、
1853年にスタインウェイ・アンド・サンズをニューヨーク市に設立する。
最初の作業場はマンハッタン区ヴァリック・ストリート85号の小さなロフトであった。
1860年代にはマンハッタンのパーク・アベニュー(現在のシーグラム・ビルディングの立つ場所)に
新しい工場を構えていた。これにより年間生産台数が500台から1800台規模に増加した。
1865年、スタインウェイ家は、ドイツのシュタインヴェーク工場(現在の所在地はブラウンシュヴァイク)
を離れて、兄弟のヘンリーとチャールズが病気のため死去した会社の指揮を取ってもらうため
ニューヨークへ来るよう求める手紙をC・F・シュタインヴェークに送った。
C・F・テオドール・シュタインヴェークはこれに従い、ドイツの会社の株式を共同経営者の
ヴィルヘルム・グロトリアン(フリードリヒ・グロトリアンの息子)と2人の職人Adolph Helfferich、
H. G. W. Schulzに売却した。ドイツ工場は名称を
「C. F. Theodor Steinweg」から「Grotrian, Helfferich, Schulz, Th. Steinweg Nachf.」
(テオドール・シュタインヴェークの後継者、Grotrian、Helfferich、Schulz、の意)に変えた。
この名称は後に「グロトリアン=シュタインヴェーク」に短縮された。
ニューヨークでC・F・テオドール・シュタインヴェークは英語風にC・F・セオドア・スタインウェイと名乗った。
会社の指揮を取った15年の間、セオドアはブラウンシュヴァイクの自宅を残し、ドイツと米国を頻繁に行き来した。
1870年代には、ヘンリー・スタインウェイの息子ウィリアム・スタインウェイによって、クイーンズ区アストリアに
企業城下町Steinway Villageが築かれた。現在も米国本社はこの地区に置かれている。
ヘンリー・スタインウェイの死後、1880年にハンブルクにも生産拠点が置かれた。
ベーゼンドルファーなどのヨーロッパの名門メーカーは、ピアノをチェンバロの発展形として、
音響的に残響豊かな宮廷で使用する前提でピアノを造っていた。
これに対しスタインウェイは、産業革命により豊かになったアメリカ市民が利用していた、
数千人を収用できる音響的に貧弱な多目的ホールでの使用を念頭においていた。
そのために、今では常識となっている音響工学を設計に初めて取り入れた。
結果、スタインウェイは構造にいくつか特色がある。
ピアノの設計思想にはいくつかの流派がある。主に響板の響きを重視したベヒシュタイン。
胴の部分にも響板と同じスプルース材を用い、響きやすくしたベーゼンドルファー。
スタインウェイはそれらに対して、厚く強固な胴でしっかりと響板からの圧を支える構造を持つ。
また胴からの反射音も多彩な響きに貢献していると言われている。
それ以外にも交差弦やデュープレックス・スケールなど、スタインウェイの革新の数々は、
世界的に広く他のピアノ製造者への手本となった。
しかしながら、20世紀後半以降は多くの木材のストックを要し、製造に長い期間をかけるために
生産数が少ないスタインウェイの経営は順風満帆とは行かず、1972年のCBSによる買収、
その後の複数の個人投資家への売却を経て、1995年にセルマー・インダストリーズの傘下に入った。
今日では、セルマーおよびその傘下に収まった旧ユナイテッド・ミュージカル・インスツルメンツ、
ルブラングループらと共に楽器製造企業複合体スタインウェイ・ミュージカル・インスツルメンツ
(旧セルマー・インダストリーズ)を形成するに至っている。
この企業複合体は、1990年代後半にかけてアメリカ経済のバブルの恩恵を受けて、売上高を急激に増やし、
楽器業としては最も高い売上を確保するようになり、財務体質が改善された。
その結果、多くのピアノ製造メーカーが経営難に直面し、良い素材の確保が困難になる中で、スタインウェイは
ピアノ造りに欠かせない良質な素材を確保する点で優位性を保持することとなった。
またこれ以外に、戦後の世界的な高級ピアノ市場をスタインウェイが独占できたのは、
ヨーロッパ、特に敗戦国であるドイツの名門メーカーが第二次大戦の戦災により
壊滅的なダメージを受け、主要な工房や多くの技術者を失ったせいでもある。
しかし、その後、楽器業界は売上高を継続的に伸ばすのが難しい状況となり、
2013年8月、親会社である総合楽器製造会社、米スタインウェイ・ミュージカル・インスツルメンツ(SMI)は
米著名投資家ジョン・ポールソンのファンドへの身売りを発表した。
構造上は以下のような特徴を持つ。
基本的に強力な筺体を作りこみ、ピアノ全体で豊かな音量を実現する点が特長である
カエデなどの硬く緻密な木材を使用し、曲げ練り製法により一体として製造されたアウターリムとインナーリム
放射状支柱を後框および金属フレームと結合することで弦の張力を保ち響きを支柱とリムに拡散する構造
剛性の高い筺体を完成したのちに響板を貼り込みブリッジを削り弦圧を調整する製造法
力学および音響的に優れかつ軽量な金属フレーム
クラウン(むくり)を長く持続させ音質的に優れた響板の周辺の厚みを薄くした製造法
他社に比べ張力が低いスケールデザイン
弦の倍音を有効に活用し音量を増大するデュプレックススケール
フレームとリムを連結し弦圧を最適化するとともに高音域の響きをリムに伝えるサウンドベル
金属チューブに木材を充填したアクションレールおよびハンマー固定方法
レスポンスに優れたエルツ式のウィペン
上記の要素はほぼ19世紀末までに確立された。弦の振動をピアノ全体に分散し響かせる設計によって、
楽器全体から豊かな音を出せ、特に大ホールにおいても充分な量のきらびやかな音を響かせるのである。
また整調、整音により幅広い音色を持たせられるため、クラシックやジャズに限らず、幅広いジャンルに対応でき、
多くのホールや録音スタジオでのファーストチョイスとなっている。
また筐体の強度が高いことから調律が安定し寿命も長く、古くなった楽器でもリビルドすることによって
演奏可能な状態に再生することができるのも、その特色の1つである。
このため現在に至るまで、ほとんどのピアノメーカーはスタインウェイの特徴を取り入れようと努めている。
スタインウェイピアノは世界中の約200の認証スタインウェイディーラーの約300の販売店で販売されている。
スタインウェイは以下のグランドピアノおよびアップライトピアノのモデルを作っている。
ドイツ・ハンブルクにあるスタインウェイの工場は、7種類のグランドピアノと
2種類のアップライトピアノを作っている
(モデルの記号表示の数字部分はグランドピアノでは長さ、
アップライトピアノでは高さをセンチメートル単位で表わす)
グランドピアノ: S-155、M-170、O-180、A-188、B-211、C-227、D-274
アップライトピアノ: V-125、K-132
アメリカ合衆国ニューヨーク州クイーンズにあるスタインウェイの工場は、6種類のグランドピアノと
3類のアップライトピアノを作っている。
グランドピアノ: S (5' 1")、M (5' 7")、O (5' 10 3⁄4")、A (6' 2")、B (6' 10 1⁄2")、D (8' 11 3⁄4")
アップライトピアノ: 4510 (45")、1098 (46 1/2")、K-52 (52")
スタインウェイピアノの生産工場はアメリカのニューヨーク(1853年より)と
ドイツのハンブルク(1880年より)の2箇所にあり、それぞれで材料・形状・アクション・鍵盤・
足の固定方法などが若干異なる。
ニューヨーク・スタインウェイは現在でも伝統的な製造方法で作られていて個体差が大きいといわれる。
比較的柔らかいハンマーフェルトを使い、硬化剤などの使用により幅広い音色を生み出すことも可能であり、
明るい音色とあいまってニューヨーク・スタインウェイを好むユーザーも多い。
鍵盤両端の腕木と呼ばれる部分の角が直角であることとペダルボックスに金属装飾を持つ点が特徴である。
ハンブルク・スタインウェイは、より近代化された工場で製造されており精度が高いと言われる。
他のドイツ製ピアノと同様に比較的堅めのハンマーフェルトを使い、主に針を刺すことで整音を行う。
鍵盤両端の腕木と呼ばれる部分の角が丸いことが特徴である。
日本に入ってくるスタインウェイのほとんどはこのハンブルク製である。
ハンブルク・スタインウェイは日本をはじめとするアジア地域とヨーロッパに輸出され、
ニューヨーク・スタインウェイは北米、南米への出荷が取り決められている。


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STELZHAMMER
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STELZHAMMER ステルツハンメル オーストリア?ドイツ? 詳細不明
STERLING


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STERLING PIANO CO.INC. スターリング スターリング・ピアノ・コーポレーション

アメリカ、テネシー州の新しいメーカーで、一般向きのピアノを作っています。
この会社の製品にはスターリングのブランドのほか、ハンティングトン(HUNTINGTON)、および
メンデルスゾーン(MENDELSSOHN)のブランドもあります。

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STOCKHAUSEN

STOCKHAUSEN

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STOCKHAUSEN ストックハウゼン(シュトックハウゼン))

北朝鮮製造(韓国?)→浜松で最終調整? (PACO) 詳細不明

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STONE
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STONE ストーン アメリカ 詳細不明
STORY & CLARK


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STORY & CLARK PIANO COMPANY ストーリー・アンド・クラーク
アメリカ 工場:ミシガン州グランドヘブン

1857年にハンプトン・ストーリーによって創業されたピアノメーカーで、莫大な数量の
アップライトピアノを市場に販売し続けてきたことによって名が知られ、アメリカで有数の
古い歴史を持ち、もちろんスピネットピアノもグランドピアノも製造しています。

初代のハンプトン・ストーリーは、生まれ持っての音楽的才能を持ちあわせた人物で、
10歳のとき、すでにピアニストとしての演奏技能を習得し、20歳でピアノ教師となり、
なんと22歳でピアノの製造を開始したという。
彼の最初のピアノは、チャンプレイン湖(ニューヨークとベルモントの間にある美しい湖)
を臨む小さい仕事場で作られたが、熱心にピアノ製造に打ち込んだため数年のうちに高品質な
ピアノを次々と完成させ、名声は遠くニューヨーク、バッファローおよびクリーブランドにも
および、バイヤーが次々と訪れるようになった。
その後、1867年に工場はシカゴに移され、ピアノとリードオルガンの製造で急激な発展を
続け、さらに1901年にミシガン州のグランドヘブンに移されている。

現在に至るまでに4代の間、ストーリー一家はピアノ製造の伝統と秘技を受け継ぎ、近代的な
小型のアップライト、すなわち、アメリカでコンソールあるいはスピネットとよばれる機種の
発達のパイオニア的な役割を果たし、さらに、スケールのデザインやキャビネットのスタイルの
先達の役目を果たしたとのことです。

1948年に、この会社は画期的なピアノ響板を作り出している。これはストーリートーン
(STORY-TONE)と名付けられたマホガニー製の響板である。弦楽器の響板は昔から
松あるいは杉などの木目の通ったやや柔らかい木で作るものと相場が決まっていた。
その理由は、音の伝導性が良いという点にあります。ところが、ストーリー・アンド・クラークは、
この伝統を破って合板のマホガニーで響板を作り出したのである。この硬木の響板は温度や湿度の
変化に関係なく、50年の間、絶対にひび割れすることがないことの保証が付けられていた。
さらにマホガニーはスプルースと比較した場合、温度および湿度による収縮・膨張その他の変化が
少ないために、チューニングが狂う率が大幅に減少し、その上、音質を向上させるという。
現在、ストーリー・アンド・クラークのアップライト全機種に、このマホガニーの響板が採用されている。

この会社では、教会用のピアノという特別な楽器も作っている。ケースには特殊なゴシック式の
飾りを付け、やはり合板のマホガニーを響板に使用している。この響板により、オルガンとチューニングを
合わす必要のある教会では調律が極めて容易になったといわれている。
また、学校専用のアップライトも作られている。このピアノの特徴としては、ひとつの鍵(カギ)で
屋根板、前蓋(まくり)、前板を同時にロックできる装置、二重になったゴム製の指し込みの
キャスター、調律を容易にする屋根板とフロントパネルが一体になった構造などがある。

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STRAUBE
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STRAUBE シュトラウベ ドイツ(旧西ドイツ) 詳細不明
 STRAUBE
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ストラウベ Straube Piano Company (1895–1937)  アメリカ 詳細不明
STRAUSS


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STRAUSS シュトラウス(ストラウス?)

東亜ピアノ、[有限会社小野ピアノ製作所]
戦前にもあったピアノ。
昭和32年ごろ有限会社小野ピアノ製作所で作られていた記録もある。

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STUART & SONS



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スチュアート・アンド・サンズ オーストラリア(シドニー)

スチュアート・アンド・サンズ社は、290cmのコンサートグランドと、220cmのグランド、
130cmのアップライトピアノを製作。

スチュアート・アンド・サンズのピアノは完全8オクターブ97鍵を採用しています。
ベーゼンドルファー290モデルの97鍵とは違い、最低音と最高音の両側に音域を広げた鍵盤を採用しており、
F(21.8268Hz)~F(5587.6517Hz)という音域である。
さらに102鍵の8.5オクターヴのピアノもあり、この音域はなんとC-1(マイナス1)~F7である。
これは通常のピアノの音域(音域A0~C8)からさらに低音部に9鍵多く、高音部に5鍵も多い。

<歴史>
ウェイン・スチュアートはヨーロッパと日本でピアノ製作の技術を学び、1995年に自身の会社を設立。
以来、スチュアートはオーストラリアのピアノ製作における新たなコンセプトを切り開いてきた。
ピアノケースはオーストラリア産のさまざまな木材で出来ており、伝統的で一般的とされるピアノ外装とは
著しく異なっているのがスチュアート&サンズピアノの特徴と言える。
そして、スチュアートピアノはすべて、ウナコルダ、サスティン、ソステヌート、ハーフブローの4本ペダルを
備えているのが特徴である。しかし、スチュアートの真の先見性は発音設計にあるとされる。
従来のピアノは長い木の駒に斜めに駒ピンを打って横からも弦を押さえつけているが、スチュアート製は、
弦と駒を接続する方法として、駒ピンの代わりにアグラフを用いている。そうすることにより、音の減衰速度が
遅くなり、調律の安定性も向上するとスチュアートは信じているとされています。
尚、スチュアート社のピアノはすべてオーダーメイドで、販売とサービスも行うピアノ・オーストラリア社により
生産されている。手作りのピアノはどれも完成まで1年かかるため、このメーカーの生産高は非常に少ない。

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STUTTGART
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STUTTGART ストゥットガルト(スチットガルト) 製作者? 戦前、浜松で作られていた。
SUNSHINE
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SUNSHINE サンシャイン 朝日楽器製作所(浜松) 詳細不明
SYDNEY ZENDER
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SYDNEY ZENDER &CO ゼンダー イギリス 詳細不明

 








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