【頭文字Kから始まるピアノブランド】

ピアノ銘柄ブランド
トレードマーク 紹介
& 知名度ランキング


  

メーカー/ブランド説明・会社沿革・歴史・製作者・特徴・音色・他 

K. HERRMANN
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K.HERRMANN K・ヘルマン 日産楽器(浜松市) 詳細不明
KAFMANN
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カフマン 韓国製 (注:イタリア製ではありません、イギリスのKAUFMANNでもありません)

KAISER

KAISER ピアノ

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カイザー

河合楽器(河合ピアノの河合滋氏の義兄の設立)が
日本楽器の天竜工場にオーダーして作ったピアノです。

製造がヤマハで、売るのがカワイということで不思議な感じがしますが、
カワイピアノ製作所とは関係がなく、エテルナと同じ背景のピアノです。
販売するお店が京橋にあったので京橋カワイとも呼ぶ人もいます。

ピアノの歴史ってなかなか面白いですよね♪

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KAYSERBURG
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中国 カイザーバーグ/カイザーブルグ?読み方不明
製造:パールリバー アップライト及びグランドも製造
その他詳細不明

HP:https://kayserburgusa.com/
KALLMAN
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カルマン 井ヅツピアノ(井ヅツ楽器株式会社)大阪 井ヅツピアノで発売したブランドの一つ。
その他詳細不明 

KALLMANN

KALLMANN

KALLMANN PIANO

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カールマン (ゲルス・カールマン/ゲルス・コールマン)

GÖRS & KALLMANN (GORS KALLMANN)
昭和楽器の製造

機種バリエーション GK2000など

ドイツ(旧西ドイツ)製にも同じ名前(R.GÖRS & KALLMANN)がありますがまったく違います。
音色・作りはローレックスKR27等に近い感じです。その他詳細不明。

ピアノ天板をあけると裏に貼ってある昭和楽器の品質保障シール
(作ったピアノすべてに貼ってるとは思いますがね) →★

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KAPS


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カップス KAPS ドイツ

エルンスト・カプス・ピアノ・ファブリック
(Ernst Kaps Piano Fabrik、エルンスト・カプス・ピアノ工場)

1858年に創業されたドイツのピアノ製造会社
最初の工場はドレスデン・Seminar通り220から22番地にあった。
カプスはザクセン王国御用達称号を得た。
KARLEN
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KARLEN カーレン 日本 杉山直次 詳細不明
KAUFMANN
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カフマン イギリス 詳細不明
※韓国製のKAFMANNとは違う

KAWAI

KAWAI TRADE

KAWAI

KAWAI ピアノ

KAWAI マーク

KAWAI ピアノ

カワイK48

KAWAI

KAWAI BL-


KAWAI

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カワイ KAWAI (株)河合楽器製作所  創業1927年。

言わずと知れた日本のピアノメーカーです。ヤマハに次ぐメーカーです(生産台数として)
世界に目を向けても世界第2位の製造台数です。
トレードマークは時代によって大きく変更されたり、微妙に変わったりしています。

ちなみに製造台数(アップライトピアノ)は、ヤマハが618万台、カワイが258万台となっています。
ヤマハはカワイの倍以上の製造をしていますね。(西暦2007年時点に於いて)
製造番号はすべて1番からの通し番号で、二つとして同じ製造番号はありません。
従いまして、メーカーの製造番号から製造年も分かります。

日本楽器(現ヤマハ株式会社)に12歳から勤務していた河合小市氏が独立し、
昭和2年(西暦1927年)に河合楽器研究所として設立したのが始まりです。
カワイは日本で初めて独自のアクションを製作したピアノ会社です。

X-JAPANのYOSHIKIがカワイの透明なピアノ(クリスタルピアノ)を使っているのは有名です。
力ワイ・ピアノは、アルトゥール・ルービンシュタイン国際ピアノマスターコンクールと、
ショパン国際ピアノコンクールで、公式楽器に認定されました。

カワイのアップライトピアノのアクションレールに貼られたシール →★
同じくカワイのアップライトピアノのアクションレールに貼られた別バージョンシール(JIS8341) →★
古いカワイ内部にある防錆剤(ダイアナ)の小袋 →★  カワイの昔懐かしいキーカバー →★
昭和38年製カワイピアノの証明書(保証書) →★  昭和38年製カワイピアノ(K48)御愛用の栞 →★
カワイのまくり(フタ部分)にあるKAWAIブランド銘柄マーク →★

<カワイの歴史>
河合小市氏は1897年から日本楽器(現ヤマハ)に勤めていたが、1927年に独立して自身の会社を設立した。
河合が最初に製作したピアノは64鐽のアップライトで、350円で売られた。そしてその一年後、河合は最初の
グランドピアノを製作する。河合が会社創成期に克服しなくてはならなかった困難は並大抵のものではなかった。
優秀な職人も、良質の材料も不足していただけでなく、販売網が確立されていなかったからだ。
1930年代にはすでに社名が河合楽器製作所となり、年間250台程度だった生産高が1,000台にまで増大したが、
第二次世界大戦で工場は完全に破壊され、将来の見通しが立たなくなってしまった。
河合小市氏の努力と前向きさに加え、学校のカリキュラムに音楽が組み込まれたことも追い風となり、
工場は再設立され、1949年にはアップライトとグランドの生産が開始された。
1953年にはピアノ生産高が年間1,500台にまで伸び、従業員数は500人になった。日本におけるカワイの多大な
功績を称えられ、河合小市氏は天皇陛下より栄誉ある藍綬褒章(らんじゅほうしょう)を受章した。
このような賞を受賞したのは楽器産業界初であった。
1955年に河合小市氏が亡くなると、息子の河合滋氏が会社を引き継ぎ、生産高を向上させるため、
工場に近代的な生産技術を導入する。河合は若い親たちに子どもの音楽教育の有用性を訴えるなど、
積極的なセールス手法をとり、特にピアノを推奨した。そして全国規模の音楽教室のネットワークと、
音楽講師の養成学校を設立した。その後、河合は生産ベースを工場1ヶ所から14ヶ所に拡大する。
その中には1988年に設立されたアメリカの工場も含まれる。
1960年代、力ワイは約2,000人の訪問セールス員を雇い、カワイ音楽教室には300,000人以上が受講。
アメリカ国内でピアノと電子オルガンを販売するため、1963年に力ワイアメリカコーポレーションが設立され、
力ワイヨーロッパ、力ワイカナダ、力ワイオーストラリア、力ワイアジアが続いて設立された。
1980年、面積29,879平方メートル(9,038坪)の工場が建設され、
1日に60台のグランドピアノを生産することが可能になった。
1989年に滋氏の息子の河合弘隆氏が社長に就任し、製造工程にロボット技術を導入するために
莫大な資金を投入した。近年、会社は生産拠点をアメリカやマレーシアなどの日本国外に設立した。
より丈夫で安定したアクション部品の材料を追求し、力ワイは他に先駆けて新素材を使用し始め、
現在の力ワイのアクション部品はABS樹脂などでできている。

<附録>
カワイピアノ 製造番号/製造年対照表(1951年~1988年) →★
カワイピアノ 製造番号/製造年対照表(1988年~2012年) →★

<ピアノ調律技術者向け附録>
張弦作業に役立つ当該機種ミュージックワイヤー配線仕様 →★

<以下、ウィキペディアより引用抜粋>
日本楽器製造(現・ヤマハ株式会社)に勤務していた河合小市が独立し、1927年(昭和2年)に
河合楽器研究所として設立された。1935年(昭和10年)に合名会社、1951年(昭和26年)に株式会社へと改組。
1952年(昭和27年)に河合小市が死去すると、1955年(昭和30年)、娘婿の河合滋が社長に就任。
1956年(昭和31年)にカワイ音楽教室を創設、音楽教育事業によるユーザ層の拡大に乗り出すと共に、
1989年(平成元年)に河合弘隆が社長に就任し、滋は会長に専任となった。
河合滋が社長を務めていた頃は、業界に先駆けてピアノの割賦販売を打ち出すなど、同業のヤマハと切磋琢磨し、
日本の音楽普及に貢献した。
バブル時代にはゴルフ場事業等にも進出し、非ピアノ事業の育成を企図した多角化を行ったが、
近年はピアノ事業に回帰する姿勢を鮮明にしている。
ピアノを中心とした楽器製造・販売のほか、近年はカワイ精密金属などでピアノの部品素材のノウハウを生かした
半導体素材の生産も行っている。
かつてはDTM関連製品やムーンサルト、F-I、Rockoonシリーズ等のエレキギター/エレキベース、
K5000シリーズなどのシンセサイザーを製造・販売していたが、現在では楽譜作成ソフトウェア
「スコアメーカー」や入力用の小型キーボード「HYPERCAT」を除き撤退している。
出版部門は「カワイ出版」のブランドで、多くの楽譜、音楽書を出版している。
音楽書以外にも絵本等の出版も行っている
また、ピアノの製造過程で出る端材を活用して、木製の玩具なども発売している他、
学校向けのスポーツ用具も製造している。
国内のアコースティックピアノにおけるシェアはヤマハが約6割、同社が同4割で長らくこの比率は変わっていない。
ヤマハが特約店方式で各地の楽器店と契約しているのに対し、全国に直営店を展開している。
グランドピアノは1990年代まではドイツ製ピアノの影響が強い製品を製造していたが、
現在ではスタインウェイの特徴を取り入れ、近代化されたRXシリーズを中心に、手作り工程と
入念な出荷調整を取り入れた高級機SKシリーズ、コンサート用のSK-EXシリーズを出荷している。
アップライトはKシリーズを出荷している。
いずれも炭素繊維強化プラスチックを採用してレスポンスを改善したアクションを特徴としている。
また騒音対策としてエニタイム仕様やピアノマスク仕様のピアノも出荷している。
他にも外装部が透明アクリル樹脂でできているクリスタル・ピアノ「CR-40A」を受注販売している。
連合赤軍あさま山荘事件の発生当時、連合赤軍に占拠されたあさま山荘の所有者であった。
(正確には当社の健康保険組合の所有)
1970年代以降、カワイはピアノ性能の一貫性と安定性を向上させるための代替素材の使用を開拓してきた。
1971年、カワイは木材の使用と関連する問題を克服するためにアクションの部品に
ABS(アクリロニトリル・ブタジエン・スチレン)複合材料を使用し始めた。
カワイの設計エンジニアは、湿度の変化にともない顕著に収縮および膨潤する性質を持つ木材は、
安定なピアノタッチを確保するために厳密な公差を維持しなければならないピアノアクションで使用するためには
理想的とは言えない、と結論を下した。
そのため、彼らは選ばれた木製アクション部品を徐々にABS部品に置き換えた。
カワイによれば、カリフォルニア州立工科大学ポモナ校、教授Abdul Sadatによって
1998年に行われた科学的試験では、カワイのABSアクション部品が相当する木製部品よりも強く、
湿気による収縮と膨潤に対してはるかに影響されにくいことが明らかとなった。
カワイは、複合材料部品の使用によってカワイのピアノアクションは他のメーカー製のものよりも安定で
一貫性があると宣伝している。
2002年、カワイは炭素繊維入りABS樹脂を使ったウルトラ・レスポンシブ・アクションを発表した。
ABSカーボン(ABS-Carbon)と名付けられたこの新素材はカワイのアクション部品の強度を高め、重さを低減し、
これによって全体のアクション操作がより速くなった(トリルを演奏する時のコントロールのために
非常に重要である)炭素繊維の追加はABSカーボンアクション部品の剛性も高め、
これによってアクションは奏者のより少ない労力でより大きな力を生み出すことが可能となった。
カワイは、素材および設計におけるこれらの進歩が長年にわたって高い堅実性を持って
ウルトラ・レスポンシブ・アクションが奏者の意図により正確に応答するのを助ける、と強く主張している。


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KEIMAN
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KEIMAN カイマン 永栄楽器(名古屋)、東洋ピアノ製造(株) 浜松市竜洋町高木
その他詳細不明
KEMBLE


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KEMBLE ケンブル イギリス ミルトン・キーンズ
Kemble and Company Ltd.

ケンブルのピアノは、豊かでまろやかなヨーロッパ的な音色で知られている。
バイエルンの「持続可能森林」のスプルース材が響板に用いられており、また鍵盤も
さまざまな気候条件において安定した状態を保てるように同じくスプルース材で出来ている。
クァンタム131の外装デザインは、イギリスの有名なデザイン会社
コンラン・アンド・パートナーズ社が手掛けた。
ケンブルの従業員の70パーセント以上が同社で15年以上働いており、その豊かな経験は
世代から世代へと工場の中で受け継がれている。
1930年代に生産された『ミンクス』というアップライトピアノは高さが90cmしかなく、
アクションは鍵盤より下に位置するため、鍵盤後部が上がることによって突き上げるのではなく、
下から引き上げることでハンマーヘッドが弦へ向かう仕組みだった。
また追加で、弦が発する音量を弱くするモジュレーターを取り付けることができた。

ケンブルの輸入会社は成功し、1920年までにはロンドンのストーク・ニューイントンの工房で
自社の楽器を製作するようになった。第一次世界大戦までこの地域はピアノの町だったため、
ロバー卜・ケンブルは工房の職人を見つけるために、正面の窓にカーテン代わりにピアノフェルトを
吊るしている家を探してまわったという。そのような家を見つけると、戦前にピアノ工房で
働いていた者がいないか尋ね、もしいれば、その人を雇った。ケンブルは妻のいとこの
ヴィクター・ジェイコブスとともに働き、彼の会社は1920年代と30年代の厳しい経済情勢下でも
繁盛した。1935年にケンブル社は3つの新モデルを売り出す。ジュビリー(その年のジョージ5世
在位25周年を記念した名称)と、キュビストと、ミンクスだ。特に小型のミンクスの人気は
めざましく、これらの楽器への需要は生産が迫いつかないほど高まった。
1939年になると、ケンブル社は戦争に協力するため、爆撃機のドアを生産するようになったが、
戦後はすぐにピアノ生産を再開した。1967年、ケンブル社はクラーマー(Cramer)と
ブリンスミード(Brinsmead)のブランド名を買収し、翌年、ロンドンからミルトン・キーンズの
ブレッチリーへ移転した。ここでは今もアップライトピアノが生産されている。
その前の年に、ケンブル社はヤマハ株式会社の電子オルガンを配給する契約を結んでいた。
そしてその配給契約は株式購入へと発展する。1971年にヤマハはケンブル社の少数株主となった。
1980年代の初め、ケンブル社は廃業の一歩手前まで追い込まれるが、その寸前にディートマン・
ピアノをイギリスで生産するという大きな契約をイパッハ社から取り付ける。
1984年にケンブル社はまた苦境に陥り、ふたたびヤマハが多額の投資をして、
今回は株の過半数を取得した。1986年まで、ケンブル社はヤマハの名前でヨーロッパ市場向けの
ピアノを生産し、生産高を急激に増やすために大きな投資をした。1992年、ケンブル社は
輸出部門で英国女王賞を受賞。3年で輸出量が2倍以上になった。1999年に生産高はピークに達し、
約7,000台のピアノが生産された。そして現在も安定した生産高を保っている。
したがって、近年のものはヤマハ製アクションを使用している。

現在、ケンブル社はヨーロッパでも最も進んだピアノ製造工場を誇る。
1968年にロンドンの伝統的なピアノの町から、パッキンガムシャーのミルトン・キーンズへ
移った先見の明により、会社は見事な成長を遂げて、今やヨーロッパ最大のピアノ製作会社となった。

<附録>
ケンブルピアノ 製造番号/製造年対照表(1930年~2000年) →★

<以下、ウィキペディアより引用抜粋>
ケンブル(Kemble)は、1911年にロンドン北部のストーク・ニューイントンでマイケル・ケンブルによって
創業されたピアノ製造会社である。
2009年の生産終了までイギリスで約35万台のアップライトピアノおよびグランドピアノを製造した。
父の会社を引き継いだ後、創業者の息子はピアノ生産をミルトン・キーンズのブレッチリーへ移転した。
1964年、イギリスのピアノメーカー・J・B・クラーマー& Co.を買収した。
1968年に日本の楽器メーカーヤマハとの合弁事業Yamaha-Kemble Music (UK) Ltd. が発足し、
この会社はイギリスにおけるヤマハの輸入・楽器およびプロオーディオ機器販売業務を担当した。
1986年、創業者の孫のブライアン・ケンブルが社長となった。
1980年代はイギリスの経済が落ちこみ、1986年にヤマハがケンブル& Co. の支援に乗り出した。
以後、2009年まで約12万台のピアノが生産され、1992年には輸出に関する功績によりピアノ産業として
唯一「The Queen's Award for Export Achievement」を授与された。
2007年7月、ヤマハはケンブル家が少数保有していたYamaha-Kemble Music (UK) Ltd. の残りの株式を購入した。
売却後、Yamaha-Kemble Music (UK) Ltd. はYamaha Music U.K. Ltd. に改名されたにもかかわらず、
この売却はヤマハのイギリスにおけるピアノ販売・製造部門であるKemble & Co. Ltd. には影響を与えなかった。
2009年、ケンブルピアノの生産は全てアジアへ移され、欧州での生産が終了した。
これによってイギリスにおけるピアノ製造の幕が降ろされた。
閉鎖時にも、ケンブルはまだ年間約7千台のピアノを輸出していた。
ケンブルは2018年現在中国で生産されるヤマハの手頃な価格のブランドである。

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KEMP
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KEMP ケンプ 東日本ピアノ製造(株)浜松 詳細不明
KEYFER
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KEYFER キーファー 日本 詳細不明
KHOHL
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KHOHL コール ドイツ 詳細不明
KIMBALL


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KIMBALL PIANOS キンボール ジャスパーコーポレーション(アメリカ)
創業1857年 ※現在は生産されていません

キンボール社は小さな小売店から始まり、世界最大クラスのピアノ製造会社へ発展した。
それは創立者のウィリアム・ウォレス・キンボールの賢明さと努力の賜だったとも言える。
キンボールは音楽的なバックグラウンドはなかったものの、1850年代の市場変化への優れた洞察力を持ち、
アイオワの土地を売ってグロヴェスティーンとトラスローのスクエアピアノを4台購入し、
1857年にシカゴに小売店を開いた。
1864年、キンボールは名門クロスビー・オペラハウスの中に店舗を設け、低価格のリードオルガンや、
チッカリング、ヘールなどの東海岸のメーカーのピアノを販売した。
キンボールは精力的に働き、すぐにアメリカ西部で最大のピアノディーラーになり、会社は繁盛し続けたが、
1871年にシカゴ大火に見舞われ、キンボール社はすべての商品と在庫、ならびにショールームを失う。
ジョセフ・ヘールはキンボールが築き上げてきた業績への尊敬の念から、「とりあえず私の10万ドルを
使って下さい」と、火事の当日に電報を打ったと伝えられている。
キンボールは店を自宅に構えなければならないほどだったが、1880年には100万ドルを超える
収益を上げるようにまでになった。
1880年代にはリードオルガンの生産を開始し、1882年に面積960,000平方フィート(89186平米)
の工場をオープンしてからは、年間15,000台もの楽器を製造するようになった。
1887年に既存のオルガン工場を増設し、1888年からはそこでピアノの生産がスタートした。
最初の年に生産された500台のピアノは満足のいかない出来だったが、スタインウェイやベヒシュタインに
勤めていた技術者を雇ってからは、楽器の品質が一気に向上した。
キンボール・ピアノは積極的に売り込まれ、数多くのショールームに展示された。
そして展示にとどまらずキンボール社は40人の出張セールスマンによって販売もされ、北米の隅々まで
販路を広げるためにキンボールに雇われた人たちだった。
そうしたことで、キンボールは、パイプオルガンおよびピアノ製造の伝統的な長い歴史を持ち、
現在では電子オルガンのメーカーとしても世界的に知られている。
生産するピアノの種類は極めて多く、スピネットからコンサートグランドに至る各種ピアノのほかに、
プレイヤーピアノ(自動ピアノ演奏)まで作っている。
ウィリアム・ウォレス・キンボールは会社を後継者に遺して1904年に亡くなった。
キンボール社は中価格市場向けのピアノを生産し、1910年に絶頂期を迎えるが、1959年には破産状態に。
原因は1930年代の大恐慌と、当時の社長W.W.キンボール・ジュニアによる度重なる楽観的な判断だった。
1959年、オフィス家具メーカーのジェスパー・コーポレーションというインディアナ州の
アメリカ屈指の巨大なテレビおよびステレオなどのキャビネットメーカーの傘下になり、
社名はキンボール・インターナショナルに改められました。
従業員はピアノ製作の経験がなく、生産したピアノの半分が工場に戻ってくるという結果になったものの、
キンボールピアノは他のメーカーと比較した場合、はるかに有利な条件で木材が入手出来たという。
その後、生産技術は向上し、1966~67年にかけてオーストリアの偉大なピアノメーカーである
ベーゼンドルファー社を買収し、さらに1980年にはアメリカのクラカウアー社を買収したことにより、
ピアノ製作面でのサポートを得て、 その秀でたピアノ製作技術がキンボールに導入されました。
その後、1995年にグランド製造中止、翌年1996年にはアップライトも製造中止に。

<キンボール社の特徴>
キンボールはその長い製作の歴史の間に、幾多の構造上・デザイン上のパイオニア的役割を果たしています。
第一に挙げられるものとしては、”ライフクラウンド”とよばれる響板の改良である。
これは気温や湿度の変化に対して絶対に割れる危険性のない、通常の3倍の強度を持ったものとのことだ。
また、”ユニロック”とよばれるチューニングピンを確実に保持する装置の開発によってピアノの調律を
長持ちさせることに成功している。
さらにキンボールは、”スーパーフォニックスケール”とよぶアップライトピアノの音色を、
グランドピアノの音色に近づける方法や、耐水接着剤の使用を可能にしたエレクトロニック接着法の開発、
その他幾多の新技術をピアノ工業へ導入し、その製造技術を飛躍的に向上させました。
また、現在あらゆる鍵盤楽器に白と黒の鍵盤の原型を作り出したのもキンボールであると伝えられています。
ピアノやオルガンの白鍵と黒鍵の配列法は非常に微妙で、黒鍵は白鍵の真ん中にはなく弾きやすいように
各音によって少しづつ左右にずらしてあります。

<過去にキンボール社が取り扱ったピアノブランド名>
Kimball、Conn、Jasper-American、W.W.Kimball、Hinze、Harrison、Schuerman、
DeVoe & Sons、Whittaker、Becker、La Petite、Krakauer、Whitney、Whitmore

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KINCAID


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キンケイド KINCAID アメリカ(ノースカロライナ)

ノースカロライナのモルガントンで作られているピアノで、会社名はグランドピアノ会社。
この会社名から推察すると、グランドピアノを専門に作っているように想像できますが、
名称とは真逆に安価なアップライトのみを作っており、ピアノには15年の保証をつけて販売。
キンケイドピアノには種類が多く、約25種類もある。

日本のピアノといえば黒塗りが多いが、アメリカやヨーロッパのピアノといえば、
生地塗りや部屋の模様にマッチしたさまざまなデザインのものが多いのが普通です。
キンケイドにもさまざまなデザインのものがありますが、そのデザインにも伝統的な
流儀があり、あまり突飛なものがあるわけではありません。

ちなみに、キンケイドピアノのデザインは大きく分けて次の9種類に分類されます。
■モダン:近代的なデザインののっぺりしたデザイン(別名ボックストライク)
■コンテンポラリー:現代風の部屋にマッチしたケースのピアノ
■トラディショナル:伝統的なスタイルのケースで、アメリカでは最も人気
■トランシィショナル:過渡期という意味で、トラディショナルとコンテンポラリーの中間的デザイン
■アーリー・アメリカン:開拓史時代のデザインのケース
■スパニッシュ:スペイン風の優雅なスタイルのケース
■フレンチ・プロビンシアル:フランスの田舎風なという意味で、ネコ脚のついたロココ風な優美なデザイン
■イタリアン・プロビンシアル: イタリアの田舎風なという意味で、古風なデザイン
■メディタレニアン:地中海風のという意味で、重厚なデザインのもの

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KING
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キング アメリカ(シカゴ) 詳細不明
KING DAVID
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キングデイビッド 台湾(中国)
聲茂楽器製造股份有限公司

工場は新竹県湖口工業区にある。
奥行き140cmのベビーグランド1種類のみ製造し、アメリカやイギリスなどに輸出していたとのこと。

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KINGSBURY
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キングスブリー  ケーブル・ネルソン(ケーブルピアノ社) アメリカ(オレゴン州)
このブランドは、学校やピアノ教育専用に使われているとのこと。

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KIRKMAN
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KIRKMAN カークマン イギリス 詳細不明
 KNIGHT


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ナイト Knight イギリス・ロンドン/イングランド  Since 1935

ナイトのアップライトピアノは温もりのある歌うような音色で、高音部は均一な響きを持つ。
ナイトの鉄フレームは標準的なピアノのフレームの二倍の強度を待つ。それは桁の構造原理に基づいた
全周フレームで、ビーチ材の4本支柱の背面構造に固定されている。
極めて高い調律の安定性を得るため、ピン板はフレームのポケットに収められている。
K10モデルには高音部のストレスバーがない。ピアノの左下の角に弦張力に抵抗するためのバーが
何本かあり、響きが弱くなることを防ぐ。チューニングピンを支えて調律の安定度を強化するため、
硬質繊維板のビンブッシュが用いられている。重い純銅線が巻かれた低音部の弦は総重量が3Kgある。

<歴史>
ラジオ、映画、蓄音機の出現によってすでに苦しんでいたピアノ産業は、
1930年代の大恐慌でさらに大打撃を受ける。
そのような状況ドの1935年に、アルフレッド・ナイトは絶大な自信をもってロンドンに会社を設立した。
アルフレッド・ナイトはさまざまなピアノ会社で働いた経歴があり、また才能のあるピアノ奏者でもあったため、
自分が作った楽器を喜んで実演していた。
ナイトのピアノ作りへの情熱は報われ、創業から10年経つ頃には、
ナイト社は年間1,000台のピアノを生産していた。
第二次世界大戦中もナイト社は政府からの受注でピアノを作り続けた。
1944年のノルマンディー上陸作戦の直後、保護のため金属の緑を取り付け、ビールをこぼしても大丈夫なように
特別に作られた9台のナイト製ピアノが、ヨーロッパ大陸へ上陸したと言われている。
戦時中もピアノ生産を中断せずに済んだナイト社は、戦後、他メーカーに大きな差をつけることが出来た。
アルフレッド・ナイトは輸出先を開拓しようと休みなく働き、自社のピアノが高い水準に達していることを
センスとユーモアを交えて実演してみせた。
1955年、アルフレッドは会社をエセックス州ラフトンの大きな工場へ移し、50年代の終わりに
ブリティッシュ・ピアノ・アクション社の経営権を取得した。
アルフレッドは当時新たに開発されたプラスチックを用いて、自らピアノアクションの再設計に着手した。
彼は黒鉛を含ませたナイロンとグラスファイバーを用いて、摩擦のないジャックとフレンジを
作り出すことに成功し、さらに、染みがつかない白いプラスチックの白鍵キートップを開発した。
アルフレッドが亡くなると、会社の経営は娘の一家が引き継いだ。
1991年から、ナイト・ピアノは自社仕様の楽器の生産を、ブリティッシュ・ピアノ・マニュファクチャリング社の
一部であるウェルプデール、マックスウェル・アンド・コッドに依頼している。

<附録>
ナイトピアノ 製造番号/製造年対照表(1936年~2000年) →★

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KOHLER & CAMPBELL

KOHLER & CAMPBELL

KOHLER & CAMPBELL ピアノ

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KÖHLER & CAMPBELL (ケーラー・アンド・キャンベル)は1896年ニューヨークで創業、
1983年までに毎年約1万台を生産し、約800,000台以上のピアノを世に送り出した
アメリカ最古のピアノメーカーのうちのひとつです。

1977年、韓国のサミックにブランド譲渡され、輸出向けブランド「ケーラー&キャンベル」として 、
外装・組み立て等工賃のかかる工程をインドネシアで仕上げることによって、
コストパフォーマンスに優れた製品に改変。
日本に輸入されたピアノは、東洋ピアノの管理の中で出荷調整がなされ国内販売されています。

近年販売されたピアノはKÖHLERではなく、どこの部分を見てもKOHLERになっていますが詳細不明。
ピアノの拍子木にあるプレートの写真 →★

【歴史】
1896年にケーラーと、キャンベルの二人が組んでピアノ製作を始めたことからこのブランドが生まれました。
この会社は20年たたぬうちに、アップライトピアノ、自動ピアノと自動再生アクションの性能において
世界有数のものにのし上がったとききます。
このケーラー・アンド・キャンベル社は20世紀の初めに自動アクションの製作に専念し、
それを他のメーカーに販売する傍ら、ベルトミニヨンの再生アクションを作り出して、蓄音機が出来る以前、
はじめて一般の人にコンサート以外でピアノ演奏を聞かせるという功績を残しました。
その後、オート・ニューマチック・アクション社とスタンダード・ニューマチック・アクション社という
二つの子会社を作り、あらゆるピアノメーカーへ自動ピアノアクションを売り続け、その売上げは年間
5万台にものぼったと記録に残っています。
この会社は、その後アメリカで最も古いピアノメーカーであるフランシス・ベーコン社を吸収しているので、
その技術の源は1789年にさかのぼる最も伝統を誇れるものとなりました。
元来、ニューヨークにあった会社ではあったが、その後ノースカロライナに近代的な工場が建てられ、
全米その他に500もの代理店を持ったこともあります。

読み方
× コールアンドキャンベル、コーラーアンドキャンベル
○ ケーラーアンドキャンベル

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 KLIBEL


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 KLIBEL クリーベル 興和楽器製作所(浜松市天竜川西岸) S・クリーベル

クリーベルという名前は他にも多く、例えば、
■クリーベル(KRIEBEL)ドイツ製
■クリーベル(KRIEBEL)東日本ピアノ製造(株)静岡県浜松市天竜川町332番地(当時)
■クリーベル(CREABEL) 共立楽器 などがあります

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KLINGEL

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クリンゲル

昭和54年、浜松市の向宿町に設立されたトニカ楽器製造のブランドで、
戦前は東京神田神保町のピオバ楽器が広田ピアノに製作を依頼していました。

ですが、いま見かけるクリンゲルピアノは韓国製(英昌)がほとんどだと思われます。

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KLINGEL

KLINGEL ピアノ

KLINGEL

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クリンゲル 

※写真のトレードマークは韓国(英昌)製のものです

当時、協立楽器が販売しており、ローゼンストックなどと同じ系統のピアノです。

作りや音色もローゼンストックピアノとほぼ同じです。

■機種バリエーション
G803、G806、KU250、KU380、KU700など

クリンゲルピアノの保証書 →★  クリンゲルピアノのまくり(蓋)部分の銘柄マーク →★

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KLINGMANN
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KLINGMANN クリングマン ドイツ 詳細不明
KLUGE
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クルーゲ ドイツ(レムシャイト)
詳細不明

<以下、ウィキペディアより引用抜粋>

クルーゲ・クラヴィアトゥーレン(Kluge Klaviaturen、クルーゲ鍵盤)GmbHは、
ドイツ・レムシャイトの大手ピアノ鍵盤製造業者である。
毎年グランドピアノ、アップライトピアノ、およびオルガン用の鍵盤約8千個を生産している。
現在、クルーゲは欧州における最も重要なピアノ鍵盤製造業者である。
約50人の従業員が働いている。
1876年、イバッハ社の鍵盤部門の長であったヘルマン・クルーゲ(Hermann Kluge)が、
ノルトライン=ヴェストファーレン州ヴッパータール近郊のバルメン(英語版)で
"Hermann Kluge Claviaturen-fabrik KG" を創業した。
この若い会社はすぐに市場での地位を獲得し、しばらくしてクルーゲはスタインウェイ・アンド・サンズを
顧客とした。生産数は順調に増加し、1902年には既に10万個目の鍵盤が作られた。
1943年までの生産数は50万個と推定される。
この年に全ての専用機械と供給品があった生産施設と事務所建物が破壊されたため、
正確な数をこれ以上遡ることはできない。
第二次世界大戦後、忍耐の時期に入った。賃貸の部屋で当初は家具や窓、扉などが製造された。
元の生産施設の復旧には膨大なエネルギーが必要であり、1946年に事務所建物の地下室で
鍵盤の修理を開始することができた。
ほぼ5年後、工場建物の復旧後、鍵盤の生産を再び開始することができた。
再開後の初年には既に500以上の鍵盤が完成された。
続く53年間、会社は多くの浮き沈みを経験してきた。
ハイライトは間違いなくベルリンにあった強力な競合企業Bohn Claviaturen社の買収であった。
Bohn Claviaturen社の生産はポーランドへ移転された。
また重要な出来事は、1999年にアメリカ合衆国の世界最大の楽器製造業者の一つである
スタインウェイ・ミュージカル・インスツルメンツ社によってクルーゲ・グループが買収されたことであった。
クルーゲ社はこの取引によっていかなる損害も被らなかった。
背後に名高い親会社を持つことで、会社の強固な基盤が築かれた。
ほぼ全てのヨーロッパのグランドピアノおよびアップライトピアノ製造業者と自身の鍵盤生産部門を持たない
海外の一部の業者はほぼ例外なくクルーゲから鍵盤を輸入している。
クルーゲ社の広告文句は「The key tot quality and success」である。

KNABE

KNABE

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WM. KNABE & CO. ウィリアム・クナーベ アメリカ
1839年創業 アメリカメリーランド州(都市:ボルチモア)
創業者:ウィリアム・クナーベ/ヴァレンティン・クナーベ(ドイツ生まれ)

アメリカン・ピアノ・カンパニー、
エオリアン・アメリカン・コーポレーション傘下の系列会社の製品の後、
現所有:ピアノディスク社  現在の製造はサミック社とのこと
MASON & HAMLINの項目や、AEOLIANの項目も参照

1839年にアメリカのボルティモアに設立されたクナーベ社は、アメリカでもっとも有名な
ピアノメーカーのひとつとなった。
当初は「裕福な上流の人々に相応しい品質のピアノ」というスローガンで宣伝されたクナーベのピアノの音質は、
ダルベールやサンサーンスなどの一流のヴィルトゥオーゾに絶賛された。
またクナーベのピアノは見本市に出展されると、高い職人技と優れた構造を称えられて必ず賞を獲得した。
プロイセンの家具、ピアノ職人の見習いだったヴァレンティン・クナーベは、1833年にアメリカに移住し、
ピアノ製作者のヘンリー・ハーティーのもとで働き始めた。
クナーベは英語と商売の技術を学んだ後、1839年にヘンリー・ゲーレと組んで会社を設立し、
クナーベ・アンド・ゲーレのブランド名でピアノを作り始めた。
1854年にクナーベはゲーレから会社を買い取り、息子のウィリアムとアーネストとともにピアノの生産を開始。
ヴァレンティンが1864年に亡くなるまで会社は上質のピアノメーカーの地位を確立し、息子たちの指揮の下、
会社は繁栄し続けた。
1870年には毎年約500台のピアノが生産されるようになり、工場の再開発を経て1890年に生産高は、
年間2000台まで跳ね上がった。19世紀の終わりの四半世紀にクナーベは絶大な評価を得るようになり、
ニューヨークとワシントンにショールームが設立された。
ルービンシュタインをはじめ、多くの音楽家がクナーベ社の支援を受け、クナーベピアノでコンサートを行った。
1891年のカーネギーホールの「こけら落とし」ではクナーベ社がスポンサーとなり、チャイコフスキーを
ゲスト指揮者として招いた。
1889年と1894年にクナーベ兄弟が相次いで突然亡くなってからは、ヴァレンティンの孫が後を継ぎ、
1908年にアメリカン・ピアノ・カンパニーに吸収合併されるまで会社を経営した。
合併の1年後、ウィリアム・ジュニアとアーネスト・ジュニアはこの複合会社を去り、オハイオ州にクナーベ・
ブラザーズ・カンパニーを設立する。
クナーベ・ブラザーズ・カンパニーは短命に終わったが、1914年までクナーベ家伝統の音を
保持したピアノを生産。
会社の買収と、新たなクナーベ・ブラザーズ・カンパニーの設立があったにもかかわらず、元々のクナーベ社は
ピアノを販売し続け、1916年には生産高が年間3000台に達した。
1932年にアメリカン・ピアノ・カンパニーはエオリアン・コーポレーションの一部になり、アップライトと、
グランドピアノを生産し続けたが、1985年にエオリアン社が倒産し、クナーベのブランド名や設備、
型、未完成のピアノはすべて、ゾーマー・アンド・カンパニーへ売却された。
現在は、韓国のサミック社がWm.クナーベ(Wn.Knabe)のブランド名でクナーベピアノを生産している。

<附録>
クナーベピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1850年~1980年) →★

<以下、ウィキペディアより引用抜粋>
Wm. クナーベ& Co.(Wm. Knabe & Co.、クナービとも)は、19世紀中頃から20世紀の初めまで
アメリカ合衆国メリーランド州ボルチモアに存在したピアノ製造業者である。
1982年まではニューヨーク州イースト・ロチェスターのエオリアン・カンパニーの一事業として存続した。
現在は三益楽器(韓国)によって製造されるピアノの一ブランドである。
ヴィルヘルム・クナーベは1803年6月3日にザクセン=ヴァイマル公国クロイツブルクで生まれた。
1813年のドイツにおけるフランスの軍事行動によって父親のようにアポセカリーとなるために
学ぶことができなくなり、代わりにキャビネット職人に弟子入りし、その後2年間見習いとして働き、
次に3年間ゴータでピアノ職人のために働いた。その後ドイツのいくつかの都市でピアノ職人見習いとして働いた。
1831年、クナーベはザクセン=マイニンゲン公国からアメリカ合衆国へ移住する婚約者の家族に同行したが、
家長が航海中に死去したため、クナーベと花嫁は兄弟が数年早く定住していたミズーリ州ハーマンへの
旅の途中のボルチモアにとどまった。
クナーベは有名なピアノ職人Henry Hartgeの下で働き、結局は農業従事者になる計画を断念した。
4年後、クナーベはLexington通りのLiberty通りの角にある自宅で中古ピアノの販売と修理を始めた。
1839年、クナービはピアノを製造する目的のためにHenry Gaehleと共同経営を始め、
1841年までに彼らはSouth Liberty通り13にあるより大きな作業場へと移った。
1843年、彼らはEutaw通りとCowpenアレーの角に商品陳列室を開き、その4年後にはEutaw通り9に
商品陳列室を移転し、ここで180米ドルから400米ドルの価格でピアノを販売した。
1852年までに、店はEutaw通り4、6、8、9、11へと拡大した。
Knabe & Gaehleは1848年、1849年、1850年にスクエア・ピアノで、1849年にはグランドピアノでも
メリーランド機械振興会から一等賞を取った。
1852年、会社はEdward Bettsを共同経営者に加えてKnabe, Gaehle & Co.として再編され、
1853年までに宣伝された彼らの会社は南部で最大で、100人を超える工員を雇用した。
彼らは「チッカリングのようなダブルアクション」を持つ6から7オクターブの音域のピアノを製造し、
200米ドルから500米ドルで販売した。
1853年11月、Eutaw House近くのCowpenアレーにあった工場が火事になり、推定損失額は19万米ドルであった。
共同経営会社を解消するために1855年初頭に訴訟が始まった。
Henry Gaehleは死去し、クナービは残りの在庫と資材を全て購入したこと、Eutaw Houseの向いにある
North Eutaw通り1、3、5、7にある古くからの売り場でWm. Knabe & Co. として商売を続けると宣伝した。
代表社員となったWilliam GaehleはWm. Gaehle & Co. として営業を続けると宣伝し、Pratt通りとGreen通りの
角の工房でグランドピアノとスクエア・ピアノを製造し、Eutaw通りとFayette通りの角に展示場を構えた。
クナーベはWest通りとChina通りの角にあった元製紙工場を新工場のために購入し、1859年までに
ボルティモア通り207に商品展示場を開設した。
クナーベは1855年、1856年、1857年、1858年にメリーランド機械振興会からスクエア・ピアノで
金メダルを獲得し、1857年にワシントンDCのメトロポリタン協会から銀メダル、1856年に
フィラデルフィアのフランクリン協会からメダル、1855年と1856年にバージニア州リッチモンドの機械工協会から
一等賞を獲得した。
1860年、クナーベはEutaw通りとWest通りに新たに5つの工場の建設を開始したが、南北戦争の勃発のため
その中の一つしか完成できなかった。南北戦争によって、クナーベは南部の主要市場を失なうこととなり、
その損失を埋め合わせるために西部で新たな取引を開拓せざるをえなくなった。
ウィリアム(ヴィルヘルム)・クナービは1864年5月21日に死去し、
息子のウィリアムとアーネスト・J・クナービ兄弟と義理の息子のチャールズ・ケイデルが後を継いだ。
1866年、Wm Knabe & Co. は鋳鉄製フレームに直接螺入される代わりに
より重い真鍮の部品へと螺入されたアグラフを持つ「agraffe treble」を発表した。
1866年までに、彼らは約230人の工員を雇用し、年間約千台のピアノ(アップライト、スクエア、グランド)を製造。
工場は30馬力(22 kW)の蒸気機関や蒸気駆動のエレベータ、乾燥室を備え、グランドピアノのケース、響板、
アクションの製造、ケースのワニス仕上げ、鋳鉄フレームの金めっきを行う12メートル幅の第二建物が増設された。
さらなる補強とキューポラ(円頂塔)によって1869年に工場が完成した。
米国でのKnabe & Co. の売上はニューヨークのスタインウェイ・アンド・サンズとボストンの
チッカリング・アンド・サンズに次いで第3位につけ、1870年までの生産代数は週に約40台
(600米ドルから2千米ドルの間の価格)と見積られた。
1873年、Wm. Knabe & Co. はニューヨーク5番街に自社経営の商品展示場を開設した。
1876年のフィラデルフィア万国博覧会にはグランドピアノ、スクエアピアノ、アップライトピアノ、
Tschudi & Broadwood製ハープシコードを出展し、改訂された表彰システムによりその他多くの共同出展者と共に
最高の栄誉を手にした。1882年にはチェスター・A・アーサーのためにホワイトハウスへローズウッド製
コンサートグランドを届けた。
ウィリアム・クナービ Jr. は1889年に死去した。
会社は同年、アーネスト・J・クナービを社長として百万米ドルの資本金で法人格を取得した。
アーネスト・J・クナービは1894年に死去し、工場で修行していた息子達が後を継いだ。
アーネスト・J・クナービ Jr. は社長に選出され、ウィリアム・クナービが副社長兼会計係となった。
Wm. Knabe & Co. は1903年までにカナダとイングランドに代理店を設立し、事業をさらに拡張する目的のために
工場を抵当に入れた。1906年までに、工場は大規模に拡張された元の建物と7つの建物を占有し、
念入りに設計された総床面積は約300,000平方フィート (28,000 m²)、従業員は765人を数えた。
工場設備は個別に動力が供給された機械やボイラーと連結された集塵システムといった現代的な
電気器具を含んでいたものの、Knabeはピアノは丁寧に手作りする必要があるという基準と、
そのために完成までにアップライトで6か月、グランドピアノで2年を要するということを宣伝した。

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KNABE
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クナーベ ドイツ 詳細不明
KNABEL
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クナーベル 明音楽器製作所(浜松市) 詳細不明
KNOCHEL
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クノッヘル ドイツ 詳細不明
KONETZNY
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コネツネー ドイツ 詳細不明
KONING (KÖNING)




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KONIG (KÖNIG) ケーニッヒ

三陽楽器製作所、ケーニッヒピアノ製作所、マライ楽器製造
神原清作氏の設計、および製造指導によって作られた。
神原清作氏は明治28年生まれ。日本楽器で山葉直吉氏、河合小市氏らに教えをうけたが、
後にアメリカに留学しボストンのフォースト調律学校を卒業した。 

ケーニッヒのまくり(蓋部分)の銘柄マーク →★
ケーニッヒのエンブレム画像は「PIANO YOSHIKAWA様」よりご寄稿頂きました。ありがとうございます!

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KONKORIDIA
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KONKORIDIA コンコリディア 日本 詳細不明
KONO

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KONO コーノ

コーノピアノ研究所(浜松)
浜松の河野充喜氏が自身の工房で作り組み立てていたピアノ。
河野氏はアトラスの出身。 

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KORIN
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コーリン 光輪ピアノ製作所(浜松) 詳細不明
KRAKAUER


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クラカウアー KRAKAUER BROS アメリカ 工場:ニューヨーク  創業1869年

<読み> ○ クラカウアー  × カラカウアー

この会社は創業1869年より長い間、家系を重んじ、手工業一途に作り続けてきたメーカです。
製作されているピアノの種類は多く、そのすべてが伝統的な外装を見事に引き継いだもので、
キンケイドの項目でも触れていますが、各種の典型的なクラシックピアノのケースの由来を
本格的に伝えるのがこのクラカウアピアノです。
尚、このクラカウアーピアノの特許に、アップライトピアノの背面を飾り板でふさぐ
というものがある。これは必ず壁に背を向けて置くという従来のアップライトピアノの常識を破り、
グランドピアノと同様に、部屋のどこにでも置けるようにしたもです。
大量生産のピアノではないので日本ではほとんど知られていませんが、品質は極めて優れたもので、
ニューヨークの公立学校だけでも1000台以上も使われているとのことです。
※一時期はキンボール社にて製造

<以下、ウィキペディアより引用抜粋>
クラカウアー・ブラザーズ (Krakauer Brothers) は、クラカウアー (Krakauer) としても知られていた、
アメリカ合衆国の手作り高級ピアノ製造業者で、1869年にニューヨークで、ユダヤ人の移民だった
サイモン・クラカウアー (Simon Krakauer) が、息子デイヴィッド (David) や兄弟のジュリアス (Julius)
とともに創設した。
やがて成長した同社は、ニューヨーク市ブロンクス区のサイプレス・アベニュー (Cypress Avenue) に面した
136丁目から137丁目にかけての場所に、工場を開設した。
クラカウアーは、高品質のピアノの製造とともに、19世紀末から20世紀初めのピアノの発達において
影響力の大きな革新によって知られた、卓越したピアノ製造会社であった。
1917年、クラカウアーは、マディソン・ピアノ・カンパニー (Madison Piano Company) を合併し、
「マディソン (Madison)」ブランドでも数十年間にわたってピアノを製造した。
クラカウアー・ブラザーズは、より大きなコングロマリットに吸収されることなく世界恐慌を生き延びた
数少ないアメリカ合衆国のピアノ会社のひとつであった。
1977年、ハワード・K・グリーヴス (Howard K. Graves) がクラカウアーを買収し、
事業をオハイオ州ホームズ郡バーリン(英語版)に移した。
クラカウアーは、ヴァーティコード (Vertichord)、リリコード (Lyrichord)、
そしてマディソンのブランドで製造を行った。
その後、クラカウラーは1980年にキンボール・インターナショナルの一部門になり、
製造番号86405以降はこの体制で生産された。
バーリンの工場は、1985年に閉鎖され、これによりクラカウアーの名は終わりを告げることとなった。

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KRANICH & BACH
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クラニッヒ・アンド・バッハ アメリカ 工場:ニューヨーク 創業1864年

1864年、ヘルムート・クラニッヒとジャック・バッハというピアノ技術者が共同で始めた
ピアノメーカーであるためにこの名称が生まれたという。
工場はニューヨークにあり最高級のグランドピアノを製造。
音質、デザイン共に極めて優れていると言われている。
KRASNY OKTYABR
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クラスヌイ・オクチャーブ ロシア(ソ連) ”赤い十月”という意味  その他詳細不明

KRAUS


KRAUS

KRAUS

KRAUS

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クラウス

昭和36年7月から浜松市和田町の
大成ピアノ製造(株)で作られていたブランドです。

U-127、U-130、U-133の三機種がありました。
発売元は浜松市中野町のクラウス商事。協立楽器でも販売。

クラウスというピアノには他に、イタリア製やドイツ製にも
同じクラウス(KRAUSS)がありますが詳細不明。

※一番上のトレードマークは大成ピアノピアノ時代の頃です。
ちなみに、ドレスデン(DRESDEN)のトレードマークも製造会社が同じなのでほぼ同じデザインです。

クラウスのまくり(フタの部分)の銘柄文字マーク部分 →★

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KRAUSS
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クラウス ドイツ 詳細不明
KRAUSS
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クラウス イタリア 詳細不明
KREUIZBACH


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クロイツバッハ KREUIZBACH 永栄楽器(名古屋)、アトラスピアノ製造(製造)(浜松)
(注)スペルの中には、”I”が入ります

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KREUTZBACH
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クロイツバッハ KREUTZBACH ドイツ 詳細不明

KREUTZER

KREUTZER

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KREUTZER クロイツェル (株)クロイツェル

クロイツェルピアノ製作所(製造)、稲葉楽器(旧称)

クロイツェルピアノ製作所(創業1953年)で昭和28年から製造されているピアノ。
昭和51年末に新工場設立。浜松市和田町より浜松市安新町に移転(旧称)稲葉楽器。
東京のイナバピアノと縁故が深い。 
上から2枚目のエンブレム画像は「PIANO YOSHIKAWA様」よりご寄稿頂きました。ありがとうございます!

<附録>
クロイツェルピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1985年~2012年) →★

<以下、ウィキペディアより引用抜粋>
有限会社クロイツェルピアノ(KREUTZER)は、静岡県浜松市にあるピアノの製造業社である。1949年創業。
アップライトピアノの受注生産は2011年に終了した。
ブランド名「クロイツェル」(KREUTZER)と会社名はピアニストのレオニード・クロイツァーに由来する。
以前の名称は株式会社クロイツェルピアノ。
年間の生産台数は少ないが、手造りピアノとして、ドイツ製の基本部品を用い、
総アグラフを採用するなど高品質であり、存在を知る人の間では人気が高い。
グランドピアノは生産していないが、アップライトピアノはさまざまなバリエーションを生産している。
注文生産であり、生産台数は年間数台以下と非常に少ないため、中古ピアノの修理や再生が主な業務となっている。
<クロイツェル社の製造ブランド>
KREUTZER(クロイツェル)、LICHTENSTEIN(リヒテンシュタイン)、ROSENTHAL(ローゼンタール)
東京ディズニーランドのアトモスフィア(開催時間、開催場所が非公開のショー)の1つに
「バイシクルピアノ」というのがある →★
アップライトピアノに椅子、ペダル付き車輪を追加装備し、
自走できるピアノを演奏する(時に走りながら演奏する)エンターテイメントである。
これに使用されている「自転車ピアノ」を製造したのがクロイツェルである。

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KRIEBEL

KRIEBEL

KRIEBEL

KRIEBEL ピアノ

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クリーベル

東日本ピアノ製造(株)
静岡県浜松市天竜川町332番地(当時) 

1型や3型のピアノは音色・タッチともに重厚な印象のピアノです。
機種バリエーション:TK-380、TK-88(小型)

クリーベルのまくり(フタ部分)にあるブランド銘柄 →★  クリーベルの保証書と検査カード →★
クリーベル純正キーカバー →★

沢山清次郎氏の発明によるペダルスプリング強弱調整装置(特許No453845)も採用されています →★
沢山清次郎(さわやま・せいじろう)氏のイニシャルを取ってネジ部分にS.Sと入っていますね。
※ちなみにこの強弱調整装置ですが、私の実感としてさほど強弱を変えられない印象です。

クリーベルという名前は他にも多く、例えば、
■クリーベル(KRIEBEL)ドイツ製
■S・クリーベル(KLIBEL)興和楽器製作所(天竜川西岸)
■クリーベル(CREABEL) 共立楽器 などがあります

<ピアノ調律技術者向け附録>
張弦作業に役立つ当該機種ミュージックワイヤー配線仕様 →★

クリーベルのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★
KRIEBEL クリーベル ドイツ 詳細不明
KUNIYUKI


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KUNIYUKI クニユキ

(株)クニユキピアノ社(発売元)、六郷ピアノ(製造)
戦前、神田須田町の交差点のすぐ近くにクニユキピアノ社(国行)という店があり、
六郷ピアノに作らせていたピアノをクニユキのブランドで販売、戦後もしばらく繁盛していた。 

クニユキのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★
KURTZMANN
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KURTZMANN クールツマン ゴードン・ローヘッド社 アメリカ(ミシガン州グランドヘブン)

詳細は、GORDON LAUGHEADの項目を参照
KURZWEIL
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カーツウェル

※カーツウェルの情報は、KURZWEIL JAPAN様に当方より直接問い合わせを致しまして、
ご担当者様より下記のようなご回答を頂きました。ご協力ありがとうございました。

「中国のYOUNG CHANG社が”KURZWEIL”のブランド名を使い製造していたOEMピアノと推測される」とのこと。
「日本国内に存在することは考えにくく、大変珍しい」とご回答頂きました。

尚、「KURZWEIL JAPAN」は電子楽器の輸入代理店です。
カーツウェルピアノのまくり(蓋部分)にあるブランド銘柄マーク →★

カーツウェル公式HP:http://kurzweil.com/
カーツウェル公式HP:http://www.kurzweiljapan.jp/(日本法人)

 








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