【頭文字Jから始まるピアノブランド】
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ピアノ銘柄ブランド トレードマーク 紹介 & 知名度ランキング ![]() |
メーカー/ブランド説明・会社沿革・歴史・製作者・特徴・音色・他 |
J. & C. FISCHER このピアノのトレードマーク画像を寄稿して頂ける方へ |
ジェー・アンド・シー・フィッシャー エオリアン・アメリカン・コーポレーション傘下の系列会社の製品 工場:ニューヨーク |
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J.B.Cramer クラーマー/クラマー イギリス(ロンドン) 詳細不明 |
J.G. DOERING![]() このピアノのトレードマーク画像を寄稿して頂ける方へ |
J.G.DOERING YOKOHAMA ジェー・ジー・ドーリング 製造・販売:ドーリング商会(横浜) 横浜でピアノの輸入・加工・販売をしていて、 わが国におけるピアノ普及のパイオニア的存在だったドイツ人技術者、 ドーリング商会が、明治17年から明治22年にかけて販売したもの。 日本最古級のアップライトピアノ。 ピアノの正面中央にガラスに焼き付けられた天使像がはめ込まれていることから 「天使のピアノ」と呼ばれ、国立市の滝乃川学園で保存されています。 この「天使のピアノ」は石井筆子の嫁入り道具だったと伝えられています。 <附録> 滝乃川学園ホームーページにピアノが紹介されております →★ 2003年には国立市登録文化財に指定 JGドーリングのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
J.G. IRMLER![]() ![]() 画像クリックでHPへ戻る |
J.G.イルムラー 製造:ドイツ・ライプツィヒ 現在はブリュートナーのセカンドブランド。 メンデルスゾーンなどの一流の演奏家や作曲家がイルムラーのグランドピアノを弾いたとされる。 また、イルムラーピアノは数々の素晴らしい賞を受賞したり、ヨーロッパ各地の王室御用達楽器に選ばれるなど、 イルムラー社はドイツにおける最高ランクのピアノメーカーと評されるようになった。 現在は、コスト削減のため、組み立てをポーランド国内で行い最終調整をライプツィヒの ブリュートナー工場で行っているピアノとのこと。 <歴史> ヨハン・クリスティアン・ゴットリープ・イルムラーは、ウィーンのピアノマイスターたちのもとで ピアノ製作を学んだ。そして1818年にドイツへ戻ると、当時のヨーロッパ文化の中心地であるライプツィヒに 会社を設立し、 非常に高い品質のグランドピアノ、およびスクエアピアノ、アップライトピアノを製作した。 イルムラーはとても小さな店から始まったが、1857年にイルムラーが亡くなる頃には世界中でイルムラー社の ピアノが販売されるようになっていたという。 イルムラーの後を継いだのは、ピアノ製作の教育を受けていた息子のオットーとオズヴァルトだった。 イルムラー社は北米への輸出や国内市場で着実に売り上げを伸ばしていった。 ところが、他のドイツメーカーに徐々に押されるようになり、最先端のアイディアを取り入れた攻めのセールスを 展開するように迫られた。1861年、イルムラー社は工場に蒸気駆動機械を導入する。 そしてその年のうちに、オットーは工場の経営を弟に託し、この世を去った。 その後の成功により、イルムラー社はドイツにおける最高品質のピアノメーカーとしての地位を確立し、 オーストリア、ヴュルテンベルク、スウェーデン、ルーマニアの王室から表彰された。 1905年にオズヴァルトが亡くなると、会社は有能な息子、エミールとオットーに委ねられた。 イルムラー社はその後、1950年代まで独立してピアノを生産していた。そしてイルムラーピアノは、 イルムラー・ヨーロッパというブランド名のもと、アジアとヨーロッパの工場で作られるようになり、 アメリカ向けピアノは、ジャーマン・ピアノ・インポーツ社が輸出している。 <附録> イルムラーピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1850年~1953年) →★ <以下、ウィキペディアより引用抜粋> J. G. イルムラー(J. G. Irmler)は、ザクセン・ライプツィヒのピアノ製造会社であった。 所有者のエミールおよびオットー・イルムラーはオーストリア=ハンガリー帝国帝室・王室御用達称号を授与。 1818年、ヨハン・クリスティアン・ゴットリープ・イルムラー(Johann Christian Gottlieb Irmler、 1790年2月11日–1857年12月10日)がライプツィヒでピアノ製造会社を創業した。 1842年、イルムラーはグランドピアノのための新たなアクションを考案した。 同年、イルムラーはザクセン国王からgroße Goldene Sächsische Königliche Staatsmedaille (ザクセン王室大金章)を授与された。 1943年、他のピアノメーカーと同様にイルムラー社も空襲の被害にあい、生産施設は完璧に破壊された。 第二次世界大戦の終戦後、イルムラー家は事業の再開を決断した。 しかし、ロシアの占領下でピアノ製作に適した建物を再建することは非常に難しかった。 家長の死去後、イルムラー家は西側に脱出した。 1953年、東ドイツ当局はイルムラー社の歴史を終わらせた。 1999年、イルムラーの名前が復活した。 2018年現在、Irmler Piano GmbHはブリュートナー社の関連会社であり、イルムラーブランドのピアノは ブリュートナーが販売している。 Studioシリーズは主に中国の工場で組み立てられ、ドイツのブリュートナーの工場でハンマーが組込まれ、 検査や調整が行われる。このモデルは積層スプルース響板が使われている。 Professionalシリーズは、サミックのインドネシア工場製の部品とポーランド製のキャビネットを使って ドイツで組み立てられる。 イルムラーのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
J.& J. HOPKINSON 画像クリックでHPへ戻る |
ホプキンソン ホプキンソンピアノ社 1835年創業 イギリス(ロンドン)
ジョン・ホプキンソンによって設立 |
J. LARY このピアノのトレードマーク画像を寄稿して頂ける方へ |
フランス(パリ) 詳細不明 |
J. OOR このピアノのトレードマーク画像を寄稿して頂ける方へ |
ベルギー(BRUXELLES ブリュッセル) 詳細不明 |
J.S. GREIFEN![]() ![]() ![]() 画像クリックでHPへ戻る |
J.S.GREIFEN (GREIFEN) ジェイ・エス・グライフェン/ジェイ・エス・グライフン 詳細不明 GREIFENとはドイツ語で「~をつかむ」、「~をつかまえる」という意味 まくり(蓋)部分の銘柄マーク →★ ※画像はnosuke様からご提供頂きました |
JACINTO このピアノのトレードマーク画像を寄稿して頂ける方へ |
ハシント フィリピン 詳細不明 |
JACKSON & SONS このピアノのトレードマーク画像を寄稿して頂ける方へ |
ジャクソン&サンズ 東日本ピアノ製造(株)浜松市 詳細不明 |
JANSEN このピアノのトレードマーク画像を寄稿して頂ける方へ |
ジャンセン JANSEN アメリカ(インディアナ州) インディアナ州のエルクハートにあるウォルターピアノ社が製造しているブランド。 この会社は、管楽器のメーカーである有名なコーン社の一部門であったジャンセンピアノ社を 買収して設立されたもので、ブランドだけは以前のジャンセンを残しています。 <参照> それ以前の歴史はウォルター(WALTER PIANO CO.)の項目もご参照下さい ジャンセンのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
JASPER-AMERICAN このピアノのトレードマーク画像を寄稿して頂ける方へ |
ジャスパー・アメリカン キンボール社(KIMBALL)が取り扱ったブランド →詳しくはKimballの項目へ |
JEWETT このピアノのトレードマーク画像を寄稿して頂ける方へ |
アメリカ、ボストン 詳細不明 |
JF HESSEN このピアノのトレードマーク画像を寄稿して頂ける方へ |
JF Hessen ジェイエフ ヘッセン ピアノ技研工業有限会社 (静岡県袋井市) 日本で一番新しいピアノメーカーとのこと。その他詳細不明。 |
JOHANN KUHSE このピアノのトレードマーク画像を寄稿して頂ける方へ |
ヨハン・クーゼ 創業1874年 ドイツ(ドレスデン) ヨハン・クーゼ(Johann Kuhse)によって創業されたピアノ製造会社 1922年に合併し、エルンスト・カプス・ピアノ・ファブリック株式会社となる。 |
JOHN BRINSMEAD & SONS![]() ![]() 画像クリックでHPへ戻る |
JOHN BRINSMEAD & SONS ジョン・ブリンスミード イギリス(ロンドン) 創業1836年。1862年にレペティッションアクションの特許を取得。 19世紀後半から20世紀前半にかけて活躍し、1878年レジョン・ド・ヌール勲章を受けています。 ジョンブリンスミードのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
JOHN BROADWOOD & SONS![]() このピアノのトレードマーク画像を寄稿して頂ける方へ |
JOHN BROADWOOD & SONS ジョン・ブロードウッド・サンズ イギリス 創業1795年 <以下、ウィキペディアより引用抜粋> ジョン・ブロードウッド・アンド・サンズ(John Broadwood & Sons)は、イングランドのピアノ製造会社。 バーカット・シュディが1728年に創業、彼の死後1773年にジョン・ブロードウッドへと受け継がれた。 1761年にロンドンへと赴いたスコットランドの建具屋、家具職人ジョン・ブロードウッドは、 スイスのハープシコード製作者だったバーカット・シュディの下で働き始めた。 8年後にシュディの娘と結婚した彼は1770年には会社の経営に携わるようになる。 ハープシコードの人気に陰りが見えるようになると会社は徐々にピアノへ注力するようになり、 1793年にハープシコード製作から完全に撤退する。 ブロードウッドの息子であるジェームズ・ブロードウッドも1785年からこの会社で働いており、 1795年には社名をジョン・ブロードウッド・アンド・サンズに改めて取引きを行った。 3男のトーマス・ブロードウッドも1808年に経営に加わり、 これ以来ジョン・ブロードウッド・アンド・サンズLtdという社名が現在まで続いている。 会社が最盛期を迎えたのは1850年代のことであり、その当時は年間2500台の楽器を生産していた。 ブロードウッドがヨハネス・ツンペのモデルに倣って最初のスクエア・ピアノを制作したのは 1771年のことであった。精力的に楽器の改良を進め、初期ピアノフォルテにおいては クラヴィコードでの機構と同様に楽器側面に位置していた糸巻を1781年に奥側へ配置、鍵盤を揃え、 ハンドストップをペダルに置き換えた。後のアメリカ合衆国第3代大統領となるトーマス・ジェファーソンは ソーホー、グレート・パルテニー通りのブロードウッドを訪ねて楽器について議論を行っている。 1789年、ヤン・ラディスラフ・ドゥシークの助言に従ってピアノの音域を5オクターヴを超えて拡張すると、 さらに1794年には6オクターヴを完全に収めるまでになった。改良された楽器は音楽家の間で人気を獲得し、 フランツ・ヨーゼフ・ハイドンは1791年の初のロンドン訪問の際にブロードウッドの楽器を使用している。 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは1818年にブロードウッド社より6オクターヴの音域を持つ ピアノを贈られ、以降この世を去るまでその楽器を手元に置いていた。 聴力を失った彼が楽器の音色を楽しむことは難しかったとしてもおかしくはないが、 作曲された作品にはこの楽器の持つ音域が反映されていった。 フレデリック・ショパンは1848年にロンドンのギルドホールで開催した生涯最後のコンサートなど、 イギリス滞在中にブロードウッドの楽器に触れている。彼はブロードウッドに好感を持ちはしたものの、 フランス製のプレイエルをより好んでいたようである。 ブロードウッド社はピアノの製造、調律においてイギリス王室御用達となっている。 2008年にピアノ製作者、技工士のアラステア・ローレンスが会社を買収した。 その一家とブロードウッドとの関係は1787年にまで遡る。会社所有者の変更と並行し、新たな修理、 保存工房はイングランド、ケント、グードハースト、フィンチコックスに移された。 |
JULIUS![]() ![]() 画像クリックでHPへ戻る |
ジュリアス 株式会社 久保田楽器製作所(静岡県掛川市) スペルは”JULIOUS”ではなく、”JULIUS”が正しい トレードマークの上部分に富士山が描かれていますね。 これ以外にもトレードマークがあるようで、ワシかタカ?の鳥が地球のような球体の上に乗っている絵が 描かれたトレードマークもあるようですが、詳細不明→画像のご寄稿お待ちしております。 ジュリアスのまくり部分(蓋の部分)にあるピアノブランド銘柄マーク →★ |
JUWEL![]() 画像クリックでHPへ戻る |
ジュヴェル 製造元:東洋ピアノ製造株式会社 発売元:ヤマゲン |
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