【頭文字Iから始まるピアノブランド】


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メーカー/ブランド説明・会社沿革・歴史・製作者・特徴・音色・他 

IBACH イバッハ イギリス 詳細不明
IBACH


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イバッハ IBACH (RUD IBACH SOHN)
ドイツ(旧西ドイツ) 創業1794年。 IBACH,RUD

イバッハ社のピアノの音色は、どのような音量で弾いても、しっかりとした透明な低音域と、
豊かで温もりのあるテナー音域、そして真珠のような歌う高音域が特徴。
イバッハ社のさまざまなアップライトとグランドピアノはすベて、大部分が手作業で製作されている。
標準的なピアノを生産する一方で、イバッハ社は奇抜な外装デザインの伝統も守り続けている。
1880年代、イバッハ社はヤンコ鍵盤のピアノを製造していた。パウル・フォン・ヤンコが特許を取得した
ヤンコ式配列の鍵盤は、左右それぞれの手で広い音域を弾くことができる。

1794年にヨハネス・アドルフ・イバッハによって設立されたイバッハ社は、現在6代目イバッハが運営しており、
独立した家族経営のメーカーとしては現存する中で最も古いと思われます。
この会社ができた時代は、ピアノの構造に金属を取り入れることも、自社の商品を宣伝するという発想も、
物づくりの精神に反するとされていた。

<歴史>
ヨハネス・アドルフ・イバッハは当初、ドイツの著名なオルガン製作者のもとで修業をしていたが、そのころ、
発展途上にあったピアノに将来性を見出すと、彼の関心はこの新しい刺激的な楽器に集中していった。
1794年、イパッハが工場を設立した場所は、ピアノ製作の伝統の中心であるザクセンではなく、
デュッセルドルフに近いバイエンブルクだった。そしてナポレオン戦争による経済不況の時代にありながらも、
会社は着実に成長していった。
1834年にヨハネスの長男カール・ルドルフが経営に加わり、社名は「Rud.Ibach Sohn
(ルドルフ・イバッハ・ゾ—ン)」に改められた。グランドの発展に乗り遅れることなく、またアップライトを
早くも1838年から製造し、会社の名声は急速に高まっていく。
カール・ルドルフは、ヨーロッパ各地で開催された貿易見本市や展示会に多く参加した。
1863年、ぺーター・アドルフ・ルドルフ・イバッハが3代目イバッハ社長になると、彼の指揮のもと、
会社は発展を遂げ、より広い近代的な工場が必要となった。
自社のピアノの音色を大々的に改良していったP.A.ルドルフは、リヒャル卜・ワーグナーをはじめとする
当時の一流の作曲家や演奏家に尊敬された。
ワーグナーはルドルフのことを「親切な音色の技師』だと言っていたと伝えられている。
ピアノの外裝をもっと面白いものにできないかと考えたP.A.ルドルフは、一流の建築家や
デザイナーを対象とするコンペを行っており、今日に至るまでイバッハ・ウン卜・ゾーン社は、
奇抜なデザインの外装のピアノを作り続けている。
ルドルフが会社を商業的に拡大していったのに対し、彼の兄弟のヴァルターは世界中をまわって
一流のピアノ製作者から新しいアイディアを学んだ。10年間、外国で修行を積んだヴァルターは
ドイツへ帰国すると、1892年にペーターが亡くなったあとに会社を引き継いだ未亡人フルダを支えた。
20世紀の初めには、4代目のアルベル卜・ルドルフ・イバッハが率いるイバッハ社は、
3つの工場(シュヴェルム、バルメン、ベルリン)でピアノを生産するようになっていた。
会社は成熟したメー力ーとしての地位を確立し、演奏家や作曲家たちの支持を集めた。
しかし、1930年代の経済危機に直面すると、生産高20世紀初めの量の12分の1にまで減った。
1940年代になっても暗い時代が続き、第二次世界大戦中に会社の工場やコンサートホール、
資料室は大部分が破壊された。
苦境に陥った会社はなかなか立ち直ることができなかったが、1952年になってようやく、
5代目のヨハン・アドルフ・イバッハと妻のマルグリットがピアノ生産を再開し、
楽器の品質を高く保つことに専念した。
大部分を手作業で製作する職人技が評価され、イバッハ社はドイツ最高ランクのメーカーの地位を取り戻す。
シュヴェルムの工場は建て替えられて本社となり、世界規模の販売ネッ卜ワークが確立された。
現在、尊敬を集めるこのピアノ会社はロルフ・イバッハの指揮のもと、
芸術的な外装デザインの伝統を守り続けており、リチャード・マイヤーをはじめとする一流の建築家に
ピアノケースのデザインを依頼している。
1994年、会社のピアノ製作200周年を祝して、ブルーノ・パウルやペーター・ベーレンスらの
3つの歴史的デザインによるピアノが作られた。
今もイバッハ一族が舵をとるルドルフ・イバッハ・ゾーン社の3世紀目は明るいといえる。

初期の頃のピアノはオーバーダンパー方式(いわゆる鳥かご式アクション)を採用しているものがあります。
参考:鳥かご式アクション写真 →★

<附録>
イバッハピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1820年~2000年) →★

<以下、ウィキペディアより引用抜粋>
Rud. イバッハ・ゾーン(Rud. Ibach Sohn)は、ドイツ・シュヴェルムのピアノ製造業者であり、
2007年までは世界で最も古い製造を続けている会社であった。
1794年に創業されたイバッハはアップライトピアノとグランドピアノの大手製造業者の一つであった。
1904年まではオルガンも生産していた。イバッハは最後まで創業家によって率いられてきた。
21世紀の初めには、第7世代目が会社に加わった。2007年12月、シュヴェルムでのピアノ生産は打ち切られた。
今日は、イバッハ製ピアノのサポートを扱っている。
ヨハネス・アドルフ・イバッハは1794年にバイエンブルク(1929年以降はヴッパータール市)で
最初のスクエア・ピアノを製造した。
1795年、ヨハネスはこの地の十字軍修道院(Kreuzherren-Klosters)のオルガンを修復した。
18世紀が終わる前に、ヨハネスは生産拠点をまずリッタースハウゼン(オーバーバルメン)の貸し工房に、
次にバルメンのヴッパーフェルトに移した。
1817年、居住と工場のための建物を建設し、ここでピアノとオルガンを生産した(中心はピアノ製造)。
1839年、息子のカール・ルドルフ・イバッハとその兄弟のリヒャルト・イバッハが、
Ad. Ibach Söhne(アドルフ・イバッハの息子達)という名前で会社を引き継いだ。
最初の営業所はデュッセルドルフ、ボン、エッセンに設立された。
1850年代初頭まで、イバッハはケルンのピアノメーカーEckとプロイセンで最大のピアノメーカーである
ケーニヒスベルクのGebauhrに所有されていた。
イバッハはとりわけオランダに向けた輸出を推し進めた。1869年、オルガン製造は独立会社となった。
1873年のウィーン万国博覧会においてイバッハ社はメダルを獲得した。
会社は拡大し、ケルンに作業場を持つ営業所とシュヴェルムに新工場が加わった。
イバッハのヴェルテ=ミニョン(自動演奏)グランドピアノ(1924年)
さらに、公立楽器博物館と初のヴッパータール音楽ライブラリーが開かれた。
1892年、ペーター・アドルフ・ルドルフの未亡人フルダ・イバッハが会社を引き継いだ。
彼女は20年間会社を率いて、数百人を雇用した。
この時期に、ベルリンに3番目の工場が建設された。
さらに会社は拡大し、中米、南米、バルト諸国、ロシア、アジア、アフリカ、オセアニアでも販売を行った。
この時に、移調グランドピアノや放射型鍵盤、Ibachord(コンサート・チェンバロ)、指揮台ピアノ、
イバッハ=ヴェルテ・グランドピアノ、イバッハ=ヴェルテ・アップライトピアノといった様々な
革新や新たな進歩が取り入れられた。第一次世界大戦後は会社にとって試練の時期だった。
輸出市場の消失に加えて、ラジオと蓄音機の発明によってピアノ市場は縮小した。
自動車がステータスシンボルとしてのグランドピアノの取って代わった。
変化した顧客の要求、特に狭い集合住宅のため、小型ピアノが開発された。
第二次世界大戦はバルメンの本社にも破壊をもたらした。
したがって、1945年にシュヴェルム工場が新本社となった。
しかしながら、生産は1950年にようやく再開できた。
1960年代と1970年代の好景気は会社に取って良い時期であった。
1980年代、韓国の大宇財閥との合弁事業の一環として大宇楽器が韓国で作られ、
製造される全ての楽器はイバッハから出された。
韓国での製品には「K」が加えられた。
部外者からの意見では、このブランド名の「希釈」が深刻な経済問題を引き起こした。
2004年から取締役を務めていたユリア・ザビーネ・ファルケ(旧姓イバッハ)はイバッハに対する競合他社の
キャンペーンを一番の問題と見た。2007年には、5人強のピアノ職人がイバッハで働いていた。
2007年12月、ピアノ生産は打ち切られた。
それ以後、イギリスのジョン・ブロードウッド・アンド・サンズが世界で最も古い途切れることなく
生産を行っているピアノ製造業者である。

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IMPERIA
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インペリア 新東海楽器(浜松) 詳細不明
INABA


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INABA イナバ

製造:スワン楽器製造KK(浜松市)
製造:稲葉楽器製造株式会社(浜松市和田町)
発売元:イナバピアノ(東京都渋谷区道元坂上)

東京都渋谷区道玄坂上にある稲葉綱雄氏経営のイナバピアノが、
実弟の稲葉亮氏の経営するスワン楽器に作らせたもの。
終戦後の何もない時代にバラックの中からピアノ研究を開始し、
稲葉兄弟の名をつけた自信作である。浜松市和田町228の
稲葉楽器製造株式会社で作られていた。

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INBAL
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インバル イスラエル 詳細不明 
IRMBACH
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ロシア(旧ソ連製) 詳細不明
IRMLER


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イルムラー  製造:ドイツ・ライプツィヒ
現在はブリュートナーのセカンドブランド。

メンデルスゾーンなどの一流の演奏家や作曲家がイルムラーのグランドピアノを弾いたとされる。
また、イルムラーピアノは数々の素晴らしい賞を受賞したり、ヨーロッパ各地の王室御用達楽器に選ばれるなど、
イルムラー社はドイツにおける最高ランクのピアノメーカーと評されるようになった。
現在は、コスト削減のため、組み立てをポーランド国内で行い最終調整をライプツィヒの
ブリュートナー工場で行っているピアノとのこと。

<歴史>
ヨハン・クリスティアン・ゴットリープ・イルムラーは、ウィーンのピアノマイスターたちのもとで
ピアノ製作を学んだ。そして1818年にドイツへ戻ると、当時のヨーロッパ文化の中心地であるライプツィヒに
会社を設立し、 非常に高い品質のグランドピアノ、およびスクエアピアノ、アップライトピアノを製作した。
イルムラーはとても小さな店から始まったが、1857年にイルムラーが亡くなる頃には世界中でイルムラー社の
ピアノが販売されるようになっていたという。
イルムラーの後を継いだのは、ピアノ製作の教育を受けていた息子のオットーとオズヴァルトだった。
イルムラー社は北米への輸出や国内市場で着実に売り上げを伸ばしていった。
ところが、他のドイツメーカーに徐々に押されるようになり、最先端のアイディアを取り入れた攻めのセールスを
展開するように迫られた。1861年、イルムラー社は工場に蒸気駆動機械を導入する。
そしてその年のうちに、オットーは工場の経営を弟に託し、この世を去った。
その後の成功により、イルムラー社はドイツにおける最高品質のピアノメーカーとしての地位を確立し、
オーストリア、ヴュルテンベルク、スウェーデン、ルーマニアの王室から表彰された。
1905年にオズヴァルトが亡くなると、会社は有能な息子、エミールとオットーに委ねられた。
イルムラー社はその後、1950年代まで独立してピアノを生産していた。そしてイルムラーピアノは、
イルムラー・ヨーロッパというブランド名のもと、アジアとヨーロッパの工場で作られるようになり、
アメリカ向けピアノは、ジャーマン・ピアノ・インポーツ社が輸出している。

<附録>
イルムラーピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1850年~1953年) →★

<以下、ウィキペディアより引用抜粋>
J. G. イルムラー(J. G. Irmler)は、ザクセン・ライプツィヒのピアノ製造会社であった。
所有者のエミールおよびオットー・イルムラーは
オーストリア=ハンガリー帝国帝室・王室御用達称号を授与された。
1818年、ヨハン・クリスティアン・ゴットリープ・イルムラー(Johann Christian Gottlieb Irmler、
1790年2月11日–1857年12月10日)がライプツィヒでピアノ製造会社を創業した。
1842年、イルムラーはグランドピアノのための新たなアクションを考案した。
同年、イルムラーはザクセン国王から
große Goldene Sächsische Königliche Staatsmedaille
(ザクセン王室大金章)を授与された。
1943年、他のピアノメーカーと同様にイルムラー社も空襲の被害にあい、生産施設は完璧に破壊された。
第二次世界大戦の終戦後、イルムラー家は事業の再開を決断した。
しかし、ロシアの占領下でピアノ製作に適した建物を再建することは非常に難しかった。
家長の死去後、イルムラー家は西側に脱出した。
1953年、東ドイツ当局はイルムラー社の歴史を終わらせた。
1999年、イルムラーの名前が復活した。
2018年現在、Irmler Piano GmbHはブリュートナー社の関連会社であり、イルムラーブランドのピアノは
ブリュートナーが販売している。
Studioシリーズは主に中国の工場で組み立てられ、ドイツのブリュートナーの工場でハンマーが組込まれ、
検査や調整が行われる。このモデルは積層スプルース響板が使われている。
Professionalシリーズは、サミックのインドネシア工場製の部品とポーランド製の
キャビネットを使ってドイツで組み立てられる。

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IRWIN & SON


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IRWIN & SON PIANO COMPANY INC. アーウィン・アンド・サン
アメリカ ノースカロライナ州

このピアノもキュリエールピアノと同様、ノースカロライナで作られているピアノです。
ノースカロライナ州はアメリカ南東部の大西洋側に位置する州で、
高原や森林地帯が多く、木材が豊富なため家具やピアノのキャビネットの製造が
盛んに行われています。
社長のアーウィンは、ピアノ業界30年の経験者で、その間、エオリアン・アメリカン・
コーポレーションの販売促進部の重役などを務め、同時にウッド・アンド・ブルックス社
(ピアノのアクションとキーの製造をする会社)のセールスマネージャーその他を勤めており、
このアーウィンピアノを作り出してアメリカ全土に販売するようになったと言われています。

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IVERS & POND


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IVERS & POND PIANO CO. イバース・アンド・ポンド アメリカ テネシー州

1880年にテネシー州に作られたピアノ工場で、その後アメリカでは最も近代的な設備の
工場となりました。
イバース&ポンドは家庭用スピネット型からグランドに至るまでさまざまなピアノを作り、
キャビネット(外装)はかなり美しい。

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IZUTSU


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イヅツ IZUTSU (IZUTSU&SONS) 井ヅツピアノ(井ヅツ楽器株式会社)大阪
井ヅツピアノで発売した多数のブランドの一つ。

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