【頭文字Aから始まるピアノブランド】

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ピアノ銘柄ブランド
トレードマーク 紹介
& 知名度ランキング



  

メーカー/ブランド説明・会社沿革・歴史・製作者・特徴・音色・他 

A.GRAND ドイツ 創業1869年 詳細不明
ACACIA アカシア 詳細不明
ACACIAN


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アカシアン
エビスピアノ製作所(飯田一郎)、アカシアン製作所(後のマイシュナーピアノ製作所)

戦争中は東洋航空機として木製飛行機を作ったが、戦後(株)アカシアン製作所を再興、
アカシアンのブランドで昭和26年まで製作されたようです。
後にマイシュナーピアノ製作所となりました。

1965年頃まで、兵庫県伊丹市の北の外れに広大な敷地のピアノ工場がありました。
ACACIAN時代は出雲出身の飯国一族の経営。
会社が解散した後MEISCHNERと名前を変えて故・町田幸重氏が引き継ぎました。
しかし、2度も続けて重加算税を支払う羽目に陥り、存続できなくなったと伝えられています。
創業時期は太平洋戦争前だが詳しい時期は不明。

町田氏は、高知出身で、高等小学校卒業後、アカシアピアノ製作所に木工見習で入り
ピアノの設計や調律を習得。
独学で英語やドイツ語の専門書を読む大変な努力家だったようです。
その後、海軍に入り傷痍軍人として退役。
会社を辞めてからは、個人的に調律師として活躍。
全国ピアノ技術者協会会長。
後に社団法人日本ピアノ調律師協会設立に尽力し、その初代会長。

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ACORD ACORD? ACCORD? スペル不明 アコード 詳細不明
ADAM GERHARD ドイツ製 アダムゲルハルド 詳細不明
ADELSTEIN

トレードマークはなし

ブランド銘柄の部分

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アーデルスタイン/アデルスタイン
(有)日米楽器工業所(アトラスピアノ社の前身) 当時:浜松市神田町

日米楽器工業所は1955年頃に設立、その後1960年頃にアトラスピアノ製造株式会社に改組
頼金忠氏が当時大きく関わったとされています。
※平成の初め頃に倒産との情報有り

機種バリエーション:AD250、AD300等

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ADOLPHGEYER ドイツ製 アドルフガイヤー 詳細不明
AEOLIAN



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エオリアン

ウィリアム・B・トレメインによって1883年に創業。

エオリアン社の社名は、風によって鳴る楽器「エオリアン・ハープ」から由来して名付けられた。
ウィリアム・B・トレメインによって設立されたこの会社は、長い間自動演奏ピアノの市場を独占していた。
1895年に
この会社の名称は1897年にエドウィン・ヴォーティーが開発した空気式の自動演奏ピアノ「ピアノラ」で
知られるようになった。しかし、エオリアン社を一気に大企業へ成長させたのは、その後に発売された
リプロデューシング・ピアノ「デュオ・アート」でした。
「デュオ・アート」は精巧な機構をもった楽器で、ロール紙に記録された演奏者による細かいニュアンスや
強弱をとても正確に読み取ることができたという。
この楽器の成功によって会社は高い地位を得て、ニューヨークにエオリアン・ホールを建設し、また、
チッカリングやメイソン・アンド・ハムリン、クナーベなど、数多くの有名なブランドを買収するに至った。
ところが、エオリアン社は極めて評価の高いブランドの楽器を生産していたにもかかわらず、その後に
陥った会社存続の危機には勝てなかった。エオリアン社は、不況に加えて非常に品質の劣る楽器を
生産し続けてしまったために財政危機に陥り、1983年にスタインウェイ社の元社長のピーターペレスによって
買収された。ペレスはこの会社の主要な財産であるチッカリングやメイソン・アンド・ハムリン、クナーベなどの
ブランドを売り込むために尽力を注ぐが、なんとか会社のイメージを回復させるまでところまでいったが、
その後も品質の劣る楽器の生産が続いたために、ついにこの有名なメーカーは消滅する時を迎えた。
そして1985年、エオリアン社は生産を中止しました。

<附録>
エオリアン 製造番号/製造年代 対照表(1903年~1930年) →★

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AIZENAHA

AIZENAHA

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アイゼナハ

昭和53年に創立した大阪の日本ピアノ(株)で製造していたブランド。
(※現在は東洋ピアノ製造の所有ブランド)

高級品にはエゾ松の響板、ドイツのレンナーハンマーを使用していました。
全盛期当時、アップライト10機種、グランド2機種。U-901等。

ちなみにアイゼナハとは、ドイツ連邦共和国の都市名でテューリンゲン州に属する。
音楽家、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの出生地としても知られる。
(ドイツ語: Eisenach、アイゼナッハとも)

下のトレードマークは東洋ピアノの所有ブランドになってからのもの。

<附録>
アイゼナハピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1990年~1999年) →★

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ALBART
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アルバート トニカ楽器(昭和39年創業) 浜松 詳細不明
株式会社トニカ楽器の当時の住所:浜松市浅田町1666番地
ALBERT
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アルバート 東海楽器工業有限公司 台湾(中国)

工場は台中市北屯路。ピアノメーカーとしては極めて新しい社歴で、その製作技法は
西ドイツ最大のメーカーであるシンメル社から引き継いだと言われている。
ALBERT HALM アルベルト・ハルム オランダ 詳細不明
ALEXANDER


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アレキサンダー 大成ピアノ製造(浜松)、福山ピアノ社(東京) 村瀬克己氏 詳細不明

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ALEXANDER アレクサンダー ロシア(ソ連) 詳細不明
ALEXANDER HERRMANN


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アレキサンダー・ヘルマン  福山ピアノ社(フクヤマピアノ)

昭和20年代に新品の生産が間に合わなかったころ、
主として中古ピアノ(国産)を改装して売り出したもの。
MATERIAL MADE IN GERMANY と書き添えがしてあるものが多い。
部品の一部にドイツ製のものもあるという意味であろう。
現在ドイツにはアレキサンダー・ヘルマンという本物の楽器がある。

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ALEXANDER HERRMANN


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ALEXANDER HERRMANN アレキサンダー・ハーマン (アレクサンダー・ヘルマン)
ドイツ(旧東ドイツ) 詳細不明
ALFRED KNIGHT ALFRED KNIGHT LTD. アルフレッド・ナイト イギリス
→詳細な内容はKnightへ
 ALLISON  Allison アリソン イギリス(ロンドン) その他詳細不明

ALTENBURUG

ALTENBURUG

ALTENBURUG

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アルテンブルグピアノ  ALTENBURUG

このピアノは珍しくトレードマーク付いていません。(他にもトレードマークのないピアノもあります)
ピアノ表面(鍵盤近くの鍵盤押さえ部分)にDesigned by STEINBERG, Germanyという
シールが貼ってあるので、ドイツ製のように感じますが、日本で組み立て製造?(詳細不明) 
ただ、中音部ピアノ線の後ろ側の鉄骨部分にはMade in Germanyと入っています。

外装は艶消しでモールディングが付いているなど、
とてもおしゃれなピアノでドイツっぽい雰囲気です。

音色はとても広がりのある音量豊富で豊な音ですが、やや分厚い感じの印象。
シーズニングがあまりなされておらず、音の狂いが落ち着くまで何年もかかった感じです。 

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AMABILE


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アマービレ 東洋ピアノ製造(浜松) 詳細不明

トレードマークは普通の東洋ピアノとは違い、DESIGNED BY TOYO PIANOとなっています。中国製造?
一般的な東洋ピアノのトレードマークはこちら →★(似ていますが少し違います)
※アマービレとは音楽用語で「やさしく、愛らしく」という意味

アマービレのまくり(蓋部分)の銘柄マーク →★

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AMADEUS? AMADEUS? アマデウス 中国広州 詳細不明 
ANNELL アネール イタリア 詳細不明
ANTON WALTER アントン・ワルター 詳細不明

APOLLO

APOLLO PIANO

APOLLO

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APOLLO アポロ (アポロピアノ)

正式会社名:東洋ピアノ製造(株)

音色は明るくきらびやかな印象のピアノです。
アポロピアノの紹介で特筆すべき事項は、弱音ペダルに採用されている、
M.O.T.方式(Muffler One Touchの略)のペダルです。
これはワンタッチで弱音に出来るペダルシステムでアポロが1978年に特許を取得。
通常、真ん中のペダルは弱音にするとペダルが左下へ下がった状態になりますが、
M.O.T.ペダルシステムのピアノはペダルが下がったままになりません。
個人的にこれのどこがすごいの?とは思いますが、(スイマセン)
このM.O.T.のメカ(我々はこれをガチャガチャと呼びます)がまたよく壊れます。。→★

トレードマークは2本の音叉に囲まれた3個のハンマーヘッドを使ったデザインです。
尚、直近のピアノでは一番下のようなTOYOと入ったエンブレムに変更になっております。

<概要沿革>
石川隆己前社長自らの設計、指導、製作により、
昭和40年ごろまでは1台1台に毛筆のサインをして世に送り出していたようです。→★
350号などの初期のものは技術者が賞賛した逸品でもある。
石川隆己氏(明治44年生)は山葉直吉氏、河合小市氏らに
教えをうけ、日本楽器から河合を経て昭和9年独立、三葉楽器製作所を作りました。
アポロピアノを製造している浜松の東洋ピアノ製造株式会社の発祥の源は、
1934年にさかのぼり、初代社長であった石川隆己氏が日本楽器および河合楽器で
約十年間ピアノの技術を修行した末に、天竜川の東岸の竜洋町で三葉楽器という
小さい工場を作ったことに始まります。

<歴史>
アポロピアノを製造している浜松の東洋ピアノ製造株式会社の発祥の源は、
1934年にさかのぼる。初代社長であった石川隆己氏が、日本楽器および河合楽器で
約10年間ピアノの製造技術を修行した末に、天竜川の東岸の竜洋町で三葉楽器という
小さな工場を作ったことにはじまります。
別の記録だと、「1933年(昭和8年)に浜松市で、技術者の石川隆巳と、
財務担当の大谷藤四郎が「三葉楽器製作所」としてピアノ作りを始めた」とある。
このピアノ工場は終戦間際まで稼動していたと伝えられるが、何しろ戦時中であったため
どのような楽器が作られていたかはさだかではない。

東洋ピアノの設立は1948年6月10日と記録されていますが、それ以前の1947年1月に
石川社長は中島飛行機の教官であった大谷藤四郎氏を副社長として有限会社の
東洋楽器製作所を作っている。
終戦直後の混沌とした世相の中で、楽器を作って殺伐とした人の心を和らげ、
少しでも社会に貢献したいというのが2人の目的であったといいます。

最初の従業員は30人くらいで、焼けあとを走り回って材料を掻き集め、
足らないところは戦時中の経験を活かし、いわゆる代用品で補い、低音部の弦は
電線の銅線を巻き付けて、とにかくピアノらしいものを作り上げました。
いづれにしても、戦後最初のピアノを他社に先駆けて作り上げる功績を果たしました。

東洋ピアノ製造株式会社を発足させてからの石川社長の活躍はすさまじく、
その後の30年を懸命に働き続け、この会社をヤマハ、カワイに次ぐ生産台数を誇る
ピアノ製造会社に成長させました。
石川社長は非常に厳格で恐ろしい親方であったといいます。気に入らないアクションが
出来たときは乾燥炉に放り込み燃やしてしまったといいます。

次の社長に就任した長坂晁弘氏は、石川社長時代ながらく経理部長、営業本部長などを
歴任して会社に貢献してきた人で、初代社長とはうってかわって温厚な方であったよう。
「私が引き継いだときにはこの会社は出来上がっていました。私は音楽も好きではないし
ピアノにも精通していません」という謙虚な言葉の裏には、堅実で誠実な人格があります。
この社長のもとでアポロピアノは着実な発展を遂げたのです。

アポロのまくり(蓋部分)の銘柄マーク →★  アポロピアノの保証書 →★
アポロの文部省教育用品審査合格シール →★  アポロアクションレールのシール →★
アポロ純正キーカバー →★

鍵盤内部(KeyNo.1)に書かれた石川隆己氏の直筆サイン(一九七九年十月検と書いてあるようです) →★
アポロピアノもワグナーピアノも東洋ピアノ製造なのでTPKと入っています(2つを並べた写真) →★

<機種バリエーション/モデル>
■グランドピアノ
旧式
A-30(長さ152cm)、A-35(長さ206cm)、A-38(長さ231cm)
現行
AX-1(長さ151cm)、AX-2(長さ151cm)、AX-1w(長さ151cm)、AX-2w(長さ151cm)
■アップライトピアノ
旧式
SRシリーズ (黒塗 SR-5、SR-6、SR-7、SR-8)、(生地塗 SR-250、SR-260、SR-552、SR-580)
SSSシリーズ SR-65、SR-85、SR-565 (それぞれに黒塗、生地塗、アンチック塗あり)、A.350など
現行
A120PIERRE、A120LE、A126、A122、A122DX、A126B Imperial、A126CS Imperial、
A133W Imperial、A133M Imperial、A120 Imperial

<附録>
アポロピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1948年~1988年) →★
アポロピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1966年~1999年) →★
アポロピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1999年~2012年) →★

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APOLLO アポロ アメリカ 詳細不明
APOLLO & YAKO

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雅歌楽器企業股份有限公司 台湾(中国)

東洋ピアノ製造株式会社との技術提携会社である。
工場は高雄市自強二路にあって従業員は最盛期で330人ほど。
ARMBACH アームバッハ ソ連(ロシア) 詳細不明
ASAGA
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アサガ 浅賀ピアノ 詳細不明
ASAHI
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朝日ピアノが海外向けに出しているブランドとのこと 中国製造
ASTER ? ASTER? 韓国(英昌) 詳細不明
ASTIN WEIGHT


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ASTIN-WEIGHT アスティン・ウェイト
創業1959年 アメリカ(ソルトレイクシティー)
住所:120 West 3300 South, Salt Lake City, Utah ♯84115 UNITED STATES OF AMERICA

このピアノ会社は標準化されたピアノの設計を取り入れず、ユニークな手法を取り入れて製造しているのが特徴。
独特な外装がそれを物語っています。 

1959年にエドウィン・アスティンとドン・ウェイトがソルトレークシティーに
アスティン・ウェイト社を設立し、1978年にレイ・アスティンが社長に就任。
アスティン・ウェイト社はグランド、アップライトともに限られた台数を製造し、ユニークな点としては
ストラングバックの設計が挙げられる(ストラングバッとは、鍵盤とアクション以外のピアノ本体のこと)
一般的なピアノの場合、響板はピン板の高さまでしかないが、このメーカーは音量と豊かな音色を得るために、
響板をケース全体へ広くしたアップライトピアノを製作。
その結果、普通のアップライトよりも高さが約25cm低いにもかかわらず、大きな面積の響板を確保に成功。
ただ、この斬新な設計は独特な音色をもたらしたと言われているが、設計上の都合で駒を高くしたことにより、
ミュージックワイヤーのエネルギーが余計に吸収され、音がひずむと指摘する批評家もいる。
これはピアノの音質に大きく関わるのは響板の大きさではなく、弦のスピーキングレングス(有効弦長)の方が、
重要ということが広く知られているからだろう。
さらにこのピアノは適切な奥行きを得るためなんと背面の支柱を省いている。
その代わり、弦の張力に耐えられるように鉄の全周一体型フレームを採用している。
このタイプの構造はすでにヨーロッパで50年以上前から採用されてきたものの、技術者の中には
背面の支柱をなくすことは、調律の安定性に欠けるという者もいる。

アスティン・ウェイト社は176cmのグランドピアノも限定的に製造しており、
こちらはアップライトよりもさらに急進的な設計で、一般的なグランドピアノとは違いって、
長辺を持たず、なんとほぼ左右対称の形をしている。
そのため低音部の駒を響板の奥に配置でき、弦長が格段に延びて230cmクラスのピアノに近づき、
また響板の面積も広くなっている。そのためピアノは非常に奇妙な形を呈しており、
蓋のヒンジは低音部ではなく、高音部側で留められている。

アスティン・ウェイト(Astin-Weight)ピアノの製造番号/製造年代 対照表(1965年~2000年) →★

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ASTORIA


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アストリア。タイガー楽器設立の前に、山葉良雄氏の山葉商会が浜松の小さな工場であった、
共立楽器製作所(浜松)で作ったと言われています。

ATLAS

ATLAS PIANO

ATLAS

ATLAS

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アトラス ピアノ  ATLAS PIANO

1954年創業。正式会社名:アトラスピアノ製造会社

”アトラス” とは、”(画像)ギリシャ神話で地の果てで天球を支える巨大な神” が由来とされています。
アトラスはピアノメーカーとしては新しい方ですが、その後の発展は著しく、
近代的な生産設備、生産数においてはヤマハやカワイに次ぐものでした。
ただ、そう言われるほど私はこのピアノ自体には出会いませんが。。
性能、音色については総合的にバランスのとれた感じの印象です。
当初アトラスのピアノ工場は、十数畳ほどの小さな場所でした。
頼金忠氏が無一文から出発して、その後わずか20年で
資本金が3億5千万円(最盛期)にも及ぶ会社に築き上げました。
ですが、1980年代に入るとピアノの需要が落ち込み、1986年に事実上の倒産に至ります。
これも時代の流れですね。

<歴史>
アトラスピアノ製造会社は、1955年発足というピアノ製造会社にしては
かなり新しい会社になります。ですが、発足後の発展はめざましく、
近代的な設備の導入をはじめ、ヤマハ・カワイに次ぐメーカーに発展しました。
最盛期3億5千万にもおよぶこの会社の最初は、とても小さな工場からスタートしました。

その人物とは社長の頼金忠氏でした。
彼は無一文から出発し、なんとわずか20年で築き上げたものです。
一代で成功した人々はスタインウェイなどのように通例として仕事に全身全霊を捧げ、
人生の欲望を捨て、さらには肉親の生命を犠牲にしてまでその目的に邁進する者が多い中、
頼金忠氏はその例外であると言ってよいかもしれません。
言い伝えでは穏健な紳士でピアノで演歌を弾きこなし、七段の腕前で空手を楽しみ、
この常に明るく陽気な性格を持っている幸運な社長の半生は次のようなものです。

頼金氏は1926年広島県竹原市の酒造りの頭梁をつとめていた父の10人兄弟の6男として
生まれ、広島師範学校(現在の広島大学教育学部)に進みました。
そこでピアノの演奏に興味を持ち始め、連日練習に励んだのがピアノとのなれ初めでした。

終戦の混乱期は、頼金氏の教師になるという本来の目的性を失わせ、彼を実業界という
正反対の方向に走らせてしまいました。
彼は、明治大学の商学部に進むかたわらアルバイトでピアノの販売に没頭・熱中し、
なんと月間30台も売ったという逸話も。さらに空手の練習にも傾注されたとのことのようです。
このアルバイトはほとんど本職に転化していったと伝えられています。

彼は大学を卒業する直前、1953年に兄との共同で東京の青山に「日響ピアノ」という
店を開業発足させました。しかし彼は販売だけにはあきたらずピアノの製造技術を学ぶため、
兄に日響ピアノの経営をまかせ、浜松にあった遠州ピアノ製造株式会社などで武者修行をし、
自らはピアノ製造メーカーの世界に身を乗り入れました。

アトラスピアノの源となった「日米楽器工業所」は、1955年6月10日に発足。
場所は浜松市の浅田町。発足当初はピアノ職人を数人かき集め、外注依存の組み立て専門の
工場として出発したことに始まります。
どんなピアノにでも付けられるという便利な鉄のフレームを作り、設計書もなしに意外に
品質の良いピアノを次々と生み出していったようです。
当時はこのような組み立てピアノの全盛期で、小さい工場が国内に35~40社ほどもあり、
さまざまなブランドのピアノを作っていました。
当時の日米楽器では「スタンダード」、「ノーベル」、「アトラス」、「アーデルスタイン」などの
ブランドのピアノを作ったと記録されています。

創業2年目である1956年に日本のピアノの創始者である山葉寅楠氏の直弟子の中の一人である
匹田幸吉氏が参加し、この頃から独自の設計のピアノが作られ始め、品質は劇的に向上しました。
この頃、国立音楽大学楽器研究所の主任であった西村武氏に認められ、国立音大の
指定工場となり、販売、技術ならびに資金の援助を仰ぐようになった。
尚、当時国立音大の研究室で作られていた同じ仕様のピアノには、「コンセルバトワール」
というブランド名が付けられていたそうです。

※西村武氏はわが国でも古いピアノメーカーの一つである松本ピアノ出身の技術者で、
ピアノの製造技術を学問的に解明した学者肌の人で、惜しくも49歳で亡くなった。
西村武氏は、わが国のピアノ調律界の元老だった中谷孝男氏と共に、日本のピアノの
品質向上に大きな貢献を果たした人物です。

アトラスというブランドは国立音大の指定工場になった1956年から使われており、
このアトラスという商標はこの西村氏から譲られたものでした。
ちなみにこの”アトラス”とは、遥か西の地の果てで天球を支えているギリシャの
途方もない巨大な神で、西村武氏ご自身の身体は小さかったが、希望は大きい方が良い、
世界を目指そうという主旨で決められたと伝えられています。

<アトラスピアノ画像集>
アトラスの蓋部分のメーカーロゴ →★  アトラスの外装に貼ってある物品税証紙 →★
アトラスピアノの純正キーカバーです →★
アトラスピアノの響板に描かれたアトラス(ギリシャ神話で地の果てで天球を支える巨大な神) →★

<レア画像>
昭和50年代に納品されたアトラスピアノに付いていたカセットテープ式自動演奏機システム →★

<附録>
アトラスピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1971年~1990年) →★

<以下、ウィキペディアより引用抜粋>
アトラスピアノ製造株式会社(アトラスピアノせいぞう)は、かつて静岡県浜松市にあった
日本のピアノメーカーである。
広島県出身の頼金忠は、学生時代に学業の傍らピアノ販売のアルバイトをしていたが、
卒業後は遠州ピアノ製造株式会社などでピアノ製造技術を学び、1958年、有限会社日米楽器工業所を設立、
1960年に商号および組織を改変しアトラスピアノ製造株式会社となる。
1961年、日本で最初のピアノJIS工場の認可を受け、翌年には広島支店を開設、
その後日本ピアノ製作所を買収、日本ピアノアクション製造株式会社を吸収合併するなど、
1960年代から1970年代にかけては、日本のピアノメーカーとして、生産設備、生産台数において
ヤマハ、カワイに次ぐ勢いであった[1]。1980年代に入るとピアノの需要が落ち込み、
1984年には業務提携していたブラザー工業株式会社が撤退し、1986年に事実上の倒産に至る。
再建にむけて本社を移転し再出発するも、1990年代には国内での生産は廃業し、
その後は中国のメーカーが商標を買取り、販売しているとされているが、詳細は不明である。
いずれにしても、日本国内で生産されたアトラスピアノは姿を消した形になる。
アトラスはギリシャ神話で地の果てで天球を支える巨大な神であるが、ピアノの響板にもこの姿が描かれている。
命名者は日米楽器の頃よりピアノ製造の中心的な存在であった、国立音楽大学楽器研究所主任でピアノ調律師の
西村武であり、以後アトラスピアノ工場は国立音楽大学の指定工場となり、品質向上に大きく携わる。
以下は日米楽器工業所及びアトラスピアノ製造株式会社で製造されたピアノのブランド名の一部であ。

ATLAS (アトラス) - アトラス
ADELSTEIIN (アーデルスタイン) - 日米楽器
BROTHER (ブラザー) - アトラス
KREUIZBACH (クロイツバッハ) - アトラス
MEISTER (マイスター) - アトラス; 阪急百貨店のブランド
MORGENSTEIN (モルゲンスタイン) - アトラス
NOBEL (ノーベル) - アトラス、日米楽器
ROYAL (ローヤル) - アトラス
STANDARD (スタンダード)- 日米楽器
STEINMEYER(スタインマイヤー)- アトラス; 高島屋のブランド
VICTOR (ビクター) - アトラス

アトラスのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい →★
AUGUST FORSTER


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アウグスト・フェルスター AUGUST FORSTER/AUGUST FÖRSTER
(アウグスト・フォルスター)/(オーガスト・フォルスター)/(オーガスト・フェルスター)
/(アウグスト・フォルエステル)/(アウグスト・フォルステル)

ドイツ(旧東ドイツ)ザクセン地方のレーバウ  AUGUST FÖRSTER
チェコにも工場があったが太平洋戦争後に消滅。

1859年に設立されアウグスト・フェルスター社は第二次世界大戦より前に、
クオーター卜ーン・グランドピアノやエレクトロコードのような革命的な棉造の楽器を生み出した。
今日のアウグスト・フェルスターのピアノは、妥協のない細部へのこだわりで知られている。

アウグスト・フェルスター社のピアノは温もりのあるまろやかな音色が特徴で、
低音は力強くよく鳴るのが特徴。高さが116cm~125cmの6つのモデルのアップライトピアノと、
長さが170cm~275cmの5つのモデルのグランドピアノを製造している。
ジャコモ・プッチー二は、ほとんどのオペラをこのアウグスト・フェルスターのピアノで作曲した。
基本的な構造は従来のグランドピアノと変わらないが、エレクトロコードは最低音部の8音を除き、
1音に2本の弦が張られていた。ハンマーは1本の弦だけを打ち、もう1本の弦は短く、かなり弱い
テンションで張られていて、共鳴して振動する。この弦のいろいろな位置に静電ピックアップが
垂直と水平方向に設置され、幅広い音色とアタック特性を拾うことができた。エレクトロコードには
オプションでラジオや蓄音機を取り付けることも可能だったという。

<歴史>
フリードリヒ・アウグスト・フェルスターは、1829年にドイツのオーバーザイファースドルフに生まれた。
家具職人の見習いとして働きだし、空いた時間に楽器の修理を行っていた。
その後、楽器作りへの情熱が高まり、フェルスターはレーバウへ移って、ヒーケと力ール・オイレのもとで
ピアノ製作の修行を始める。
そして、小さな工房を開いて最初のピアノを作り上げ、その5年後の1854年にピアノ職人の試験に合格する。
1862年、フェルスターはレーバウ郊外に工場を設立した。その後、何度となく改修や改築が行われたが、
工場は現在もこの場所にある。
1897年、アウグスト.フェルスターは、 息子ツェーザーに会社を遺して亡くなるが、ツェーザーは
1915年までしか生きられなかった。
さらに今度はツェーザーが、息子のゲルハルトとマンフレートに会社を遺して亡くなる。
ピアノ業界ではよくあることだが、ふたりの息子は異なる特性を生かし、
それぞれのやり方で会社の成長に貢献していく。
この兄弟の場合、マンフレートはビジネスマンであり、
ゲルハルトは革命的な構造の楽器を生み出す器用な製作者だった。
1924年から1931年の間に、ゲルハルトは、チェコの作曲家アロイス・ハーバの作品を演奏するための
クオータートーン・ピアノ (4分音ピアノ。半音の半分の音を出せるピアノ) を数台製作する。
その後、ゲルハルトは、オスカー・フィアリングが1933年に特許を取得した設計に基づき、
「エレクトロコード」と称する電気ピアノを製作した。
現在の工場は、創業者一家4代目のヴォルフガング・フェルスターが所有、経営している。

■機種/モデル バリエーション
アップライトピアノ モデル:Super C
グランドピアノ  モデル:170、190、170Rococo

※アウグストフェルスターピアノはBVK認証を受けています(詳しくはこちら →★

<附録>
アウグスト・フェルスターピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1873年~2000年)→★

<以下、ウィキペディアより引用抜粋>
アウグスト・フェルスター(August Förster)はドイツのピアノ製造会社である。
正式名称は「August Förster GmbH Kunsthandwerklicher Flügel-und-Pianobau」
「Foerster」や時折「Forster」とも翻訳される。
現在は40名の従業員を雇用し、年間およそ120台のグランドピアノと150台のアップライトピアノを生産している。
1859年4月1日、アウグスト・フェルスターはドイツ・レーバウに小さなピアノ工房を開いた。
1862年にはレーバウのJahn通りに工場を拡大した。
今日まで使用されているこの施設はフェルスター家によって拡大・近代化されてきており、
オリジナルのアウグスト・フェルスターピアノの製造のための唯一の場所であり続けている。
1897年、ツェーザル・フェルスターは父アウグストの後を継いで会社の経営者となり、
1900年にボヘミア(後のチェコスロバキアとチェコ共和国)のゲオルクスヴァルデ
(チェコ名はイジーコフ Jiříkov)に2つ目の工場を開いた。
フランツ・ツェザール・フェルスターはオーストリア=ハンガリー帝国帝室・王室御用達を与えられた。
1937年、フェルスター社は最初の電気ピアノの一つである「Vierling-Förster」ピアノを製造した。
このピアノはベルリン工科大学ハインリヒ振動研究所のOskar Vierlingによって開発され、
電磁ピックアップを使用している。
第二次世界大戦後、ゲオルクスヴァルデのドイツ系住民は排斥され、
1945年にゲオルクスヴァルテ工場は国営化された。
新しい国家管理の下で質の高い多くのピアノが生産されたが、1945年以降のチェコ製ピアノは
ドイツのアウグスト・フェルスターピアノとは無関係である。
この「もう一方の」アウグスト・フェルスターは2000年までペトロフ社によってチェコ共和国で生産され、
カナダや一部の欧州の国々で販売された。
1972年、東ドイツの国営化の最終段階で会社は国有「VEB Fluegel-und-Pianobau Loebau」に変わった。
まだウォルフガング・フェルスターの管理下にあったものの、
フェルスター社はVEBドイツピアノ組合ライプツィッヒの一部として併合された。
家名は1976年に公式の会社名に戻り、楽器ブランドは「VEB Förster Pianos Loebau」となった。
また1976年に、フェルスター社はアメリカ合衆国への輸出を始めた。
多くの高名な音楽家がドイツ製フェルスターピアノを好んできた。
その中にはリヒャルト・シュトラウスやセルゲイ・プロコフィエフがおり、
どちらもフェルスターピアノを所有していた。
また、ジャコモ・プッチーニはフェルスターピアノを使って数多くのオペラを書いた。
Robert Fischer、Alex Duke、アントン・クエルティもまたフェルスターピアノを好んでいたことが記されている。
フェルスター・ピアノは品質と音色によって、1987年の「Verleihung der Goldmedaille für den Rokokoflügel
(ロココグランドピアノ・金メダル)」を含む多くの賞を受賞してきた。
ラリー・ファインの『The Piano Book』において、ドイツ製アウグスト・フェルスター・ピアノは
性能、品質管理、信頼性(一般的な耐久性を意味するファインの用語)の部門で最も高い評価を受けた。
「高品質性能ピアノ」のカテゴリーで、ファインは現代のアウグスト・フェルスター・ピアノを
C・ベヒシュタインやグロトリアン・シュタインヴェーク、ベーゼンドルファーといった
国際的に評判の高い楽器のすぐ下に順位付けした。
加えて、ファインは現代フェルスター・ピアノをその「卓越した低音」について称賛し、
またレンナー社製アクションの際だった反応の速さについても言及した。
公式HP:https://www.august-foerster.de/

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AUGUST HOFFMAN


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オーガスト・ホフマン/アウグスト・ホフマン 中国

August Hoffmanは、もともとはスウェーデン生まれのピアノブランドだが、
現在は中国遼寧省のピアノメーカー営口東北鋼琴(ドンペイピアノ)で生産。

<以下、ウィキペディアより引用抜粋>
アウグスト・ホフマンス・ピアノファブリック
(典: August Hoffmanns pianofabrik、August Hoffmannのピアノ工場)は、
1838年から1988年まで存在したスウェーデン・ストックホルムのピアノ製造会社である。
会社の起源はSöderberg父子の工房にある。この工房は1859年にピアノ製造技師アウグスト・ホフマン
(August Hoffmann、1827年ザクセン州生まれ)によって買収された。
ホフマンはドイツ、オーストリア、ハンガリーで修行していた。
ライプツィヒ時代にホフマンは伝説的なハインリヒ・シュタインヴェーク
(後のヘンリー・スタインウェイ)と友人だった。
アウグスト・ホフマンは1840年代に短期間カルルスハムン(英語版)でピアニストの
A. F. Sätherbergのために働き、ドイツに戻った後、最終的にはストックホルムに定住した。
スクエア・ピアノは1870年代初頭に最も人気があり、1873-74年には200台のスクエア・ピアノが製造された。
その後アップライトピアノが次第に人気となり、1884-88年には年間わずか40台のスクエア・ピアノが生産された。
アウグスト・ホフマンは1884年に死去したが、未亡人のナンナ・ホフマン(Nanna Hoffman)が工場を経営した。
ピアノ産業では初めての王室御用達となり、25人の従業員を雇用した(6人が楽器職人・調整師、他は家具職人)
ホフマンは1890年代の初めにストックホルムを訪れたスタインウェイの助けを受けた。
その他の多くの工房と異なり、ホフマンの工程は相当量の手作業によることが特徴だった。
工場はBanérgatanにあり、整備と販売はマルムフィルナツガータン通り(英語版)33の店で行われた。
1930年代、オペラ歌手のマルティン・オーマン(フランス語版)はこの店の販売員として働いていた。
スウェーデンでの製造が終わって以降、August Hoffman(ホフマンの綴りに注意)のブランド名を
冠したアップライトピアノ、およびグランドピアノが中国遼寧省のピアノメーカー営口東北鋼琴(ドンペイピアノ)に
よって製造され、香港やカナダを含む世界中で販売されている。
このブランドと元々のスウェーデンの会社との関係は不明である。
ドンペイピアノは2007年にアメリカのギターメーカー「ギブソン」(Gibson)のグループに入り、
社名を「Baldwin Dongbei Piano」に変更。
アメリカの老舗ブランド「Baldwin」や、スウェーデンブランドの「Nordiska」などを製造している。
August Hoffmanピアノは、アメリカ、カナダ、ヨーロッパで販売されているが、
日本では「August Hoffman 112G」、「August Hoffman 114WH」、
「August Hoffman 115GC」の3機種が販売されている。
いずれも木目調のコンパクト型ピアノで狭い住宅事情に適している。

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オート アメリカ 詳細不明

 








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